鉄道の父 井上勝
日本は世界でもトップレベルの鉄道技術保有国です。最近では日本の新幹線の技術が台湾に輸出され、台湾新幹線が開通しています。その、日本の鉄道の父と呼ばれているのが、井上勝です。日本の近代土木における文字どおりの草分けです。井上勝は天保4年(1843)長州(山口県)萩で生まれました。16歳の時、長崎に行き、オランダ士官から兵学を学んだ後、江戸で砲術を学びました。20歳の時です。藩命で、伊藤博文、井上馨、ら4人と共にイギリスに密航しました。他の4人が政治を学ぶ中、ロンドン大学で近代土木技術の基礎を学び、明治元年(1868)に帰国しました。帰国後は鉄道庁長官等の職務を歴任し、明治5年(1872)には、日本初の鉄道、新橋~横浜間、を開通させました。これを手始めに明治22年(1889)には東海道線を開通させたのです。彼の最大の功績は、京都~大津間、で初めて日本人の手だけで難工事を完成させ、純国産の鉄道技術を確立したことです。特に逢坂山トンネルの工事では、爆薬も無い時代、硬い岩盤を手ノミで掘り進み完成させた大変な工事だったのです。その後ある宴席で、日本鉄道会社の小野義真、三菱社の岩崎弥之助、に井上が「今まで有用な土地をつぶしてきた、国家公共のための見返りに、荒地を開拓して農場を作ろう。」と持ちかけました。話はその場で決まり、岩手山の麓に3人の名前の頭文字を取った「小岩井農場」が作られたのだそうです。明治43年(1910)欧州鉄道視察中、若き日に過ごしたロンドンで倒れ息をひきとりました。68年の生涯でした。正に鉄道にかけた一生だったのです。東京駅丸の内中央口の前の広場の銅像が今も日本の鉄道を見守り続けています。(写真は東京駅前の広場の井上勝の銅像です。)
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