2009年5月29日 (金)

5月は忙しかった

Img_70421 Img_70441   今日は5月29日(金)です。私芋酎にとって5月はほんと忙しい月でした。連休中、山口県周南市の自宅から友人が主催する、「陶の道・若山城登城の道ウォーク」に参加しました。連休後半には熊本県南小国町の知人の別荘で温泉に入り一泊させてもらいました。中旬には「NDF会」で大分県の「久住高原コテージ」に一泊して「久住高原ゴルフ倶楽部」でゴルフをしました。下旬には、会社の「OB会」で福岡県久山町にある、「レークサイド久山」に一泊してゴルフをしました。その他2回の日帰りの「ゴルフ会」も消化しました。その間に仕事もしました。とにかく忙しくて疲れた一ヵ月でした。ゴルフのスコアもさっぱりでした。と言うことでブログも更新をしていません。時間を作って来月初めに日本絵画の記事を書こうかなぁ。(写真右はコテージから見た「九重連山」です。左は一泊した「久住高原コテージ」です。)

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2009年3月31日 (火)

みやま柳川インターを降りてみた

Img_69412 Img_69432 Img_69452              3月29日(日)待望の九州自動車道「みやま柳川インター」が開通しました。早速カメラを車に積んで高速道路を走ってみました。八女方面(下り線)から「みやま柳川インターに降りました。中々快適なのですが、下り線からインターに降りてきたた車と、今から高速下り線に乗る車とが交差する交差点を通過しなければならないのです。高速を降りてきた車は安全に止まれる速度まで減速していません。交差点で対向車と衝突する危険があります。運転者はこのインターの状況を良く知った上で運転しないと、事故に遭遇する危険があるように感じました。何はともあれ、運転者の無事故を祈っています。(写真左はインター入口です。中はインターに入って来たところです。右は料金所手前です。写真画面の白い汚れは走行中ウインドウに付いた虫の油汚れです。)

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2009年3月25日 (水)

みやま柳川インターを見に行った

Img_68911 Img_68891 Img_68981  福岡県みやま市瀬高町本吉に建設中であった、九州自動車道「みやま柳川インター」が3月29日(日)14時に開通します。昨日、天気が良かったので開通準備の進むインターの状況を見に行ってきました。現場では最後の仕上げ工事が施工されているところでした。このインターの工事は、「NEXCO西日本」の発注で、熊本県人吉市に本社を置く、「丸昭建設」さんが一昨年の夏から工事を進めていたものです。関係者の皆さん長い間お疲れさまでした。御苦労さまでした。お陰さまで福岡市、熊本市が近くなります。2年後には当インターと有明沿岸道路を結ぶ国道443バイパスが完成します。益々便利になるなあ。(写真左はインターを出て国道443号に繋がる県道交差点です。中はインター料金所です。右は料金所を通過し下り本線車線に入る交差点です。)

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2009年3月24日 (火)

矢部川大橋が開通した

Img_67122 Img_67162  掲載が遅くなり、少し感激が薄れましたが、3月14日(土)15時矢部川大橋が開通しました。早速車で走ってみました。快適の一言です。当日は曇りで天気はあまり良くなかったのですがたくさんの車で込み合っていました。この3月29日には九州自動車道「みやま柳川インター」が開通します。私としても山口県周南市の自宅に帰るのに「みやま柳川インター」を使うと到着が20分早まります。高速道路料も安くなるし、これから行楽の春本番だなあ。(写真左は柳川から大牟田に向かって走行中の車から撮った「矢部川大橋」です。右は「矢部川大橋」を渡って「高田インター」を通過中の車から撮ったものです。)

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2009年2月13日 (金)

坊ちゃんは山口県人だった

0902132_2 090213_2  「月刊まるごと周南」の2月号に、夏目漱石の代表作「坊ちゃん」の主人公は「弘中又一」であると書かれていました。私芋酎は「坊ちゃん」は夏目漱石本人だと思っていました。ちゃきちゃきの江戸っ子、「坊ちゃん」が、実は周南市湯野出身だったのです。しかも湯野は私の先祖代々の人達が眠っているところです。びっくりしました。戦国の昔、西国一の大名大内義隆を討った陶晴賢と毛利元就が、安芸国厳島で戦いました。この戦いで陶晴賢の重臣弘中隆兼は、毛利方の策略であることを見抜き、厳島攻撃に反対するのですが、晴賢の強い一存で陶軍は厳島に渡りました。厳島に着いた陶軍は島内の宮尾城からと、海上から毛利軍の鋏打ちに合い、陶晴賢以下陶軍は全滅してしまうのです。この時最後まで抗戦した、弘中隆兼、隆守父子も討ち死してしまいました。しかし、隆兼の末子兼守が生き残り湯野弘中家の先祖となったのです。「坊ちゃん」こと、「弘中又一」はあの有名な戦国武将「弘中隆兼」の末裔なのです。(写真左は「月刊まるごと周南2月号」の表紙です。右は千円札にもなった漱石の写真です。参考に「まるごと周南」の弘中又一の関係記事を添付します。)「21.pdf」をダウンロード「22.pdf」をダウンロード 

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2009年2月 6日 (金)

日本一の矢部川大橋が開通する

Img_66542_2 Img_66602_2 Img_66532_2  思いがけない陽気に誘われて「有明沿岸道路矢部川大橋」を見に行ってきました。この有明沿岸道路は大牟田市三池港から佐賀空港を結ぶ、延長約55kmの地域高規格道路として、国交省が国の事業として進めているものです。有明海沿岸の都市郡の連携と交流促進、国道208号の混雑緩和と交通安全の確保を目的として実施されているものです。この事業の目玉のひとつ、一級河川矢部川を跨ぐ「矢部川大橋」は、PC斜長橋で、最大支間が261m、日本で一番支間長の長い斜長橋です。現場では最終仕上げ段階に入り橋面舗装工事が行なわれていました。橋の開通式は3月14日(土)に行われる予定です。その前の3月8日(日)には橋の上で大綱引が予定されています。橋の開通を記念して大勢の人達が参加することになっています。こうして橋が完成することは大変うれしいことですが、土木屋の私としては反面寂しい気持ちもあります。工事を手掛けた人たちが去っていくことになるのです。「清水建設」「川田建設」の皆さん工事中は大変お世話になりました。それぞれ次の任地に行かれても頑張っていただきたいと思います。この「矢部川大橋」の開通により、大牟田市の大牟田インターチェンジから大川市の大川インターチェンジまでの23.8kmが全線開通します。現在40分かかる大牟田市~大川市間が10分短縮できます。開通したら全線を車で走ってみよう。(写真左は「矢部川大橋」全景です。下流左岸側から撮りました。中は近景です。右は矢部川河口の状況です。)

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2009年1月 1日 (木)

新しい年のご挨拶

Photo 新年明けましておめでとうございます。この一年皆様のご健勝を祈念いたします。ブログ「夢酔酒」を本年もよろしくお願い申しあげます。

2009年元旦

芋酎拝

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2008年12月29日 (月)

今年も終わった

2  今日は12月29日、今年の仕事も今日で終わりです。お陰様で無事元気で今年1年を終えることができそうです。有難いことだと思っています。一方、世間ではこのところの不景気で「金がないので病院にも行けない。首を切られた上住居も取り上げられて路上生活を余儀なくされた。」とか悲惨な話で持ちきりです。天皇陛下も誕生日のコメントでこのことについて大変心配されていました。日本国中皆が希望を持って正月を迎えたい。来年は丑年です。牛歩のごとく、力強く確実に一歩一歩前進したいものです。子年今年一年有難う。来年こそはいい年でありまうように。それではいい年をお迎えください。(イラストは左が子年のネズミです。右が丑年の牛です。)

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2008年12月 6日 (土)

日本語は難しい

Img_64731_2  日本語は難しい。ゴルフ場で会社の先輩とプレーしている時の話です。ブログ「夢酔酒」を見て、「浜田にゴルフをしに行った」とタイトルに書いてあるが、「しに行く 」とは何処の言葉か?。と聞かれました。私芋酎としては標準語のつもりでいるので、標準語ではないのですか。と返答をしました。そんな標準語なんかない。という話です。一般的に通用しないのだそうです。私は子供の頃から使っていた言葉で通じると思っていたのでびっくりしました。お里が分かるなー。と思い、ブログのタイトルを「浜田でゴルフをした」に代えました。よろしくお願いします。話は変わりますが、人間が言葉を話始めたのは今から5万年前だそうです。5万年前アフリカで言葉をしゃべりだした150人位の人達が世界中に散らばって行ったのだそうです。長い人類の歴史の中で5万年はほんの少し前の出来事です。それにしても日本語は難しい。これからは、気を付けよう。(写真は山口県岩国市の錦帯橋のすぐ傍にある錦帯橋公園です。本日のタイトルとは関係ありません。)

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2008年12月 2日 (火)

正式名称「矢部川大橋」に決定

Img_64252 011  私が勤めている会社のある「福岡県みやま市」では毎月1回、市の広報が発行され市民に配布されています。その12月号を見ていたら、有明沿岸道路の「仮称矢部川橋」に正式な名称がついたとありました。正式名称は「矢部川大橋」です。この名称は、応募総数1,210通の中から選ばれた名前だそうです。これは以前私がこのブログの中で勝手に呼んだ名前によく似ています。ごく普通の実にいい名前です。この有明沿岸道路は来年3月、大牟田市の大牟田インターチェンジから大川市の大川インターチェンジまでの23.8kmが前線開通する予定で、現在40分かかる大牟田市~大川市間が、10分短縮できるそうです。「清水建設、川田建設」さん、完成まであと一息です。頑張ってください。(写真右は最近の矢部川大橋の状況です。左はみやま市の広報「みやま12月号」の表紙です。)

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2008年11月22日 (土)

辛抱強い子を育てよう

2147687665_2069909b2c  今日本でも景気後退が言われています。聞くところによると来春卒業予定である高校3年生の就職口がなくて希望者全員が就職できない状況にあると言う話です。最近よく聞く話ですがせっかく苦労していい会社に就職しても「自分に合わない」と言う理由で簡単にやめてしまう人が多いそうです。そして一時しのぎのつもりで「フリーター」や「派遣社員」になって新しい就職口を捜すのだけど今度は中々そうは行かない。で苦労していると言うことです。今の世代の若い人達は親に可愛がられ大切に育てられた人ばかりです。子供の時から苦労を知らないのです。ちょっときついことやつらいことに遭ったら簡単に挫折してしまう。何の職業でも一人前になるには最低10年間は辛抱しないとだめだと言われています。「耐える。忍ぶ。我慢する。辛抱する。」これが出来ないように思います。苦しい中、辛抱して頑張っていればそのうちその中から楽しさを見出すことができます。最初から楽しい仕事なんて有るわけがないのです。楽しさは自分で見付けるのです。子供を育てる親御さんは「辛抱強い、打たれ強い」人間に育てないと将来子供が幸せになれないような気がします。辛抱強い子供を育てよう。(写真は冬を辛抱強く耐えている「テントウ虫」です。耐えきろう 楽しい春が待っている。)

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2008年10月 6日 (月)

ムカゴが実った

Img_63251_4 Img_63252_4  九州南筑後は早や秋本番です。歩いていたら、私の住んでいる近所の家の生垣に、秋の申し子、山芋の子「ムカゴ」がたくさん成っていました。実って今にも落ちそうな風情です。この「ムカゴ」は塩茹でにするとビールのツマミに大変良い。ホクホクしていてビールが進みます。「ムカゴごはん」にするとこれがまた美味しい。口の中を漂うほのかな苦みが食欲をそそります。「栗ごはん」も美味しいけど、「ムカゴごはん」は大人のごはん、口いっぱいに秋を感じます。よそ様のものです。そっと写真に収めて帰ってきました。(写真は生垣にムカゴが実っている状況 です。)

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2008年10月 1日 (水)

今日東海道新幹線が開通した

Mountfujijapan E696b0e5b9b9e7b79a0e7b3bbjre8a5bfe6  今日から10月です。平成20年度の下期がスタートしました。アメリカの景気の落ち込みが世界中に波及して、日本経済もここ当分目が離せない状況にあります。今から44年前の今日1964(S39)年10月1日、国鉄東海道新幹線が開通しました。東京~新大阪 間を3時間20分で走行する画期的なものでした。今は当たり前のことですが、とにかく早く感じました。新幹線は開業以来44年間事故を起こしていません。日本一安全な交通機関です。今では、開業以来44年間の技術の積み重ねにより、世界でもトップクラスの鉄道技術保有国になっています。九州では新幹線 博多 八代 間が平成23年春開通されます。今、博多駅を始めルート上では工事が急ピッチで進められています。私のお世話になっている会社でも、大鉄工業さんの下で、大牟田 船小屋 間13kmのレール敷設工事を担当していて、大勢の人達が工事の施工に従事しています。完成すれば、博多から西鹿児島まで1時間20分です。鹿児島から福岡へ半日あれば買物に来れる環境になります。待ち遠しいなぁー。(写真左は走行中の東海道新幹線です。右は開業当時の新幹線車両(0系)です。写真はウィキペディアから借用しました。)

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2008年9月25日 (木)

日本一の矢部川橋が連結した

Img_63081 Img_63121_2  福岡県大牟田市から佐賀県鹿島市を結ぶ高規格道路有明沿岸道路が今年3月部分開通しました。高田IC-大和IC間は矢部川橋(仮称)が地盤沈下対策工事のため開通が1年遅れ、開通が待たれているところです。その矢部川橋(仮称)の骨格がほぼ出来上がり、昨日(9月24日)橋梁の右の躯体に左の躯体が連結する、「連結式」が現場で開催されました。現場のご厚意により、私芋酎も出席させていただきました。式後の焼肉パーティーは現場の人達80人が参加して盛大に行われました。この橋はPC斜長橋と言うタイプの橋で、完成すれば最大支間長261m、日本で一番支間長の長い斜長橋になります。日本一の橋です。工事は、右岸側が「清水建設」「川田建設」のJV。左岸側が「三井住友建設」「ピーエス三菱」のJVで進められています。昨日連結を終えた橋は、左右から工事に携わった人達が渡り初めを行い、握手を交わして工事の成功を祝い合いました。こうした行事はやった者でないと分からない達成感があり、本当に良いものです。今からは仕上げの工事を行い、いよいよ来年春開通です。(右岸とは川を下流に向かって右側の岸のことを言います。写真上は連結式を終えた「矢部川橋」の状況です。写真下は「焼肉パーティー」の状況です。)Img_63061

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2008年9月16日 (火)

結婚式の梯子をした

Img_62741 Img_62921_2  先週の週末はお祝い続きで忙しい思いをしました。私のお世話になっている会社の社員の結婚式が13日(土)16時から熊本県荒尾市の「グリーンランド」内にある「ホテルヴェルデ」で開催され、出席しました。翌日14日(日)には11時30分から広島県呉市のJR広駅のすぐそば、「広ステーションホテル」で甥の結婚式があり、出席しました。日曜日早朝、熊本県から広島県へ移動するのに神経を使いました。何しろ遅れてはいけないのだから大変でした。最近は「人前結婚式」なる結婚式のやりかたがあるのを知りました。神仏に誓いを立てるのではなくて、出席者全員に誓いを立てるのです。「これも中々いいな」と思いました。どちらの披露宴も盛大で楽しい時間を過ごすことができました。結婚はいい。未来が有って大変顔が明るい。私ももう一度若くなりたい。(写真左は13日に行われた「ホテルヴェルデ」の披露宴状況です。右は14日に行われた「広ステーションホテル」の披露宴状況です。)

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2008年8月22日 (金)

大きく沈む夕日を見た

Img_62121 Img_62111  ここ福岡筑後地方は最近雨の日が多くなり、少しづつ秋めいてきました。相変わらず日中気温は30℃を超す暑さが続いていますが夜になると30℃を割るようになってきました。一昨日(8月20日)のことです。仕事を終えて住居のマンションに帰ってきたところ、通路の向こうに素晴らしい夕日を発見しました。沈むゆく太陽がすごく大きく見えたのあわててシャッターを切りました。写真に撮ってみるとそれが小さいのです。少しがっかりしました。ただ、今日の終りに良いものを見せていただきました。神様ありがとう。(写真は写真は柳川市方面に沈む夕日です。写真右はズームアップしたものです。)

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2008年8月20日 (水)

拉致交渉

Konfuzius  お盆休みが終わり、日常の生活が戻ってきました。高校野球が終わった今、報道関係はオリンピック一色に染まっています。まっ、好きな人は大歓迎でしょうが、同じ画像、同じ話、同じ結果、を何度もテレビで映され少し食傷ぎみなのは私一人なのでしょうか?。北朝鮮との交渉で、拉致被害者の再調査の話が少し前向きに進みそうだと報道されています。大変結構なことだと思います。不思議なのは、北朝鮮が日本人をさらって帰っています。そこで日本の代表が、「5人返してもらったけど、まだそちらの国へうちの日本人がさらわれて行っているようなので調べていただけませんか。」とお願いしたら、北朝鮮の代表は「再び調査するなら、何をくれますか。」と言う返答のようです。昔から中国、朝鮮半島、日本では儒教の教えが浸透しているように聞いています。正義や礼節を重んじる人達のように思えません。人のものをかっぱらっといて、「家の中を捜すなら金よこせ。」と言っているのと同じです。「それはすみませんでした。ご迷惑をおかけします。徹底的に探してみますのでもう少し時間をください。」と言うのが普通です。まずお詫びするのが常識です。北朝鮮の幹部の人達は、そんな常識も分からない、変な国のようです。そんな変な国に常識的な交渉をしてうまくいくのかなぁー。(写真は孔子の像です。)

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2008年6月27日 (金)

地裁が潮受堤防の開門を命じた

Photo  今日(6月27日)、佐賀、福岡、長崎、熊本、有明海沿岸4県の漁業者が国を相手に起こした裁判の判決がありました。判決では佐賀地裁が諫早湾干拓事業潮受堤防の排水門を5年間解放するよう国に命じました。開門準備のために実施は3年間猶予されます。今回の判決に対し、国側は控訴するとみられ、福岡高裁で改めて判断を仰ぐことになりそうです。漁業者の言い分もよく理解できるのですが、開門すれば、2,533億円かけた事業が水の泡と化してしまいます。有明海は干満の差が大きく大潮の時には、干満の差が最大6mにもなります。潮受堤防内の水位はその時4mも上昇します。干拓地は水没してしまいます。排水門付近の海底は海水の流速が早くなり、今のままではえぐられて、排水門が崩壊する危険があります。技術的には今まで、解放は不可能とされてきました。今後の動静が気になるところです。(写真は「諫早湾干拓事業潮受堤防」です。堤防上に見えるのが「北部排水門」です。)

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2008年6月23日 (月)

沖縄全戦没者「慰霊の日」

Japanese_commanders_on_okinawa 昭和20年(1945年)6月23日、連日にわたるアメリカ軍の激しい攻撃にさらされた日本軍は沖縄本島南端まで追い詰められ、終に沖縄戦陸軍総司令官牛島満中将と長勇中将が自決して沖縄が陥落しました。63年前のことです。糸満市の平和祈念公園では、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、福田康夫首相や遺族の方々約5,670人が参列し、正午黙とうしました。公園内の犠牲者名を刻んだ「平和の礎」の総刻銘者が247,734人になったそうです。私が思うには、本当に平和を願うのであれば、アメリカを始め戦勝国の要人にも出席をお願いして式典に出席していただき、全世界に式典の様子を伝えることができれば効果が上がるのではないかと思います。自国内だけでやっていたのでは効果が薄いように思います。これより半月前の6月6日には、海軍沖縄特別根拠地隊司令官、大田実少将が万感の思いを込めて東京の海軍次官宛に打電、6月13日自決、沖縄海軍は玉砕しました。電文の終わりには、「沖縄県民かく戦えり!」「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」で結んであります。自決後中将に任ぜられました。最後まで沖縄県民のことを案じていたのです。日本の誇る実に立派な将軍の一人です。(写真は沖縄の日本陸・海軍守備部隊指揮官と参謀の合影です。1945年2月初撮影。ウィキペディアから借用しました。(1)大田実海軍少将(2)牛島満陸軍中将(3)長勇陸軍中将(4)金山均陸軍大佐(5)北郷格郎陸軍大佐(6)八原博通陸軍大佐 )

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2008年5月21日 (水)

日田と久住でゴルフをした

Img_6122_2 Img_61112  5月15日16日の2日間、会社の「OB会」に出席してきました。15日、福岡大分県境の「原鶴温泉」に1泊して翌日「ローレル日田カントリークラブ」でゴルフをしました。天気は快晴で気持ちの良い1日でした。半袖でプレーしました。清々しくて快適でしたがすっかり日焼けしてしまいました。続いて、5月18日19日と、ゼネコンダム技術者の集まり、「NDF会」に出席してきました。これは西日本のダム屋OBの集まりです。大分県久住高原のコテージで1泊して翌日ゴルフをしてきました。高速道路を車で走っている時は気温が29℃だったのですが、さすが高原の気温は低く夜になると8℃まで下がって、少し肌寒く感じました。翌19日(月)は雨の予報でしたが、プレー中は曇り空で、終わってから雨が降り出し、誠にラッキーでした。今回11名の人が参加したのですが、私の既知の人は2名だけでした。同じ苦労をした者同士、すぐ打ち解けあって大変楽しい会合でした。両方の会ともいつもどおりスコアは今一でしたが思い出に残る会でした。次も参加しよう。(写真左は「久住高原カントリー倶楽部」のコースです。右は久住高原で放牧されてる牛達です。)

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2008年5月15日 (木)

高齢者が生活できなくなる

2493076187_5cf9c69b05 アジアの国々では今、大変な災難が続いています。ミャンマーを襲ったサイクロンでの、死者行方不明者が6万人余りになり、中国四川省で発生した大地震では、九州の1.8倍もの面積の土地が甚大な被害を受けて、直接的な被災者が1千万人にのぼるそうです。とにかく大変なことです。テレビでは目を覆いたくなるようなニュースが流れています。国内ではこのところ石油を始め食品等の値上がりが続いています。今朝のニュースでは今、鋼材が大きく値上がりして、いろいろなところに影響が出ていると言っていました。この分では後期高齢者医療制度も含め、年金生活者に大きな負担をかけることになると思います。この先、物価の上昇で年金だけでは生活できなくなりそうな気配です。これから先どうするんだろう。高齢者は働きたくても体が動かず働けません。大変気になるところです。(イラストは老人の夫婦です。)

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2008年3月31日 (月)

有明沿岸道路が開通した

Map_985845837684 800pxariakeenganyanagawanishiinterc  3月29日(土)福岡県大牟田市から佐賀県鹿島市を結ぶ高規格道路有明沿岸道路が部分開通しました。今回開通したのは大牟田IC-大川西IC(23.8km)のうち、高田IC-大和南ICを除く21.8kmが開通したのです。高田IC-大和南IC間は矢部川大橋(仮称)が地盤沈下対策工事のため1年開通が遅れます。前線開通は2017年が目標となっています。私、芋酎のお世話になっている会社も、この有明沿岸道路の建設には深く携わっていた関係上、大変うれしく思っています。早速開通した全線を車で走ってみました。爽快の一言です。矢部川大橋(仮称)が完成したら道路が1本につながりもっと快適なものになります。矢部川大橋(仮称)施工の清水建設・川田建設さん一日も早く工事を完成させてください。皆待っています。(写真左は全体図です。右は完成した有明沿岸道路です。下の写真はルート図です。)Map_c04

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2008年3月 1日 (土)

食糧難の時代が来る

Bxp2100011  今日から3月です。3月は別れの月です。学校を卒業した子供達の新たな旅立ちの季節なのです。中国から輸入した冷凍食品に農薬が混入していた事件で、日本と中国の国際問題にまで話が発展しています。今、食の安全に社会の関心が集まっています。一方、石油の値上がりで小麦の輸入価格が去年の2倍にまで高騰しています。そんなこんなで、改めて日本の食糧の自給率(カロリーベースで40%)がこんな状態でいいのかと言う声が上がっています。全世界の人口が現在68億人で、2050年には100億人に達すると言う推計も発表されています。このままで行くと食糧難の時代が到来することは確実なようです。その意味からも自給率を向上させることが急務です。理屈でいくと農地を今の2倍にすれば自給率は100%になるのですが、日本の国土の広さは限られています。簡単ではありません。そう言った意味からも私達は食べ物を大切にしなければいけない。食べ物をゴミにするのは本当にもったいないことだと思います。来る時代にうろたえないためにも今のうちから物心両面での準備が必要だと思います。(写真は干ばつで水が枯れた川です。)

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2008年1月29日 (火)

人は仮面を被っている

Hannya5  殺人事件等凶悪犯罪が起きるたびに犯人のことをよく知る人達が、「真面目な感じの人で、よく挨拶もするし、ごく普通の人でした。それがあんな大それたことをするとはとても信じられません。」と言う言葉が返ってきます。先日NHKのラジオを聞いていたら、出演者の方が「人間は本当(本心)の顔を表に出さない。皆仮面を被っているのだ。」と言うような意味のことを言われていました。私も全くその通りだと思って聞いていました。日頃、人と接し会話していることと、心の内面は違う時があります。普通、非人道的なことは「理性や愛、羞恥心、社会規範」等の箍が働き、ブレーキがかかって実行に移すことはありません。しかし、人間精神的に追い込まれるとその箍が外れて、仮面が剥がれ、犯罪等の事件を起こすのです。だから誰でも犯罪を起こす要素を持っていると言うことなのです。人は1人では生きていけない。だから友達、相談相手、宗教等、自分の箍が外れないよう心配してくれる人々が必要なのではないかと思います。蛇足ですが、文中の「箍」という字は「タガ」と読みます。昔から木で作った桶があります。この桶の板がバラバラにならないように竹で編んだ輪がはめて固定してあります。あれが「箍」です。(写真はイノウエコーポレーション(http://nohmask21.com)より許可済みの画像を使用しました。)

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2008年1月16日 (水)

しめ縄をしなくなった

Simenawa_kazari01  昨日は1月15日小正月。日本では各家々でしめ縄を飾って正月のお祝いをします。一般的には15日まで飾っています。昭和40年代までは自転車や車にも飾っていました。ところが最近マンション等の集合住宅では飾る家はほとんどなくなりました。私が住んでいるマンションでも、どうやら飾っているのは私だけのようです。古きよき伝統習慣がこんなところでも消えつつありほんとうに寂しい気がします。私達が子供の頃は、凧揚げ、駒回し、カルタ取り、等をして遊んでいました。今の子供は、ゲームやメールをして遊んでいます。時代が目まぐるしく変わっています。後、20年先の日本はどうなっているのだろうか。それまで長生きしてこの目で確かめてみたい。(写真はしめ縄です。)

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2008年1月15日 (火)

諫早干拓堤防道路が開通した

Img_57431 Img_57381_2  1月13日(日曜日)佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷に初詣方々、諫早干拓潮受堤防道路を見に行ってきました。この潮受堤防道路は諫早湾を跨ぐ延長7キロの横断道路です。諫早市高来町と対岸の吾妻町を結んでいます。これで島原半島から鹿島に車で行く場合従来より40分短縮され、大変便利になりました。道路はまだ開通したばかりで、観光客がたくさん来ていました。吾妻町側には広い駐車場が整備され地元の物産を売る店ができていました。諫早干拓工事には私も4年間携わった関係上、完成した道路を見て感慨深いものがありました。帰り道、工事中お世話になった、小長井漁協の組合長の奥さんが経営する割烹「大はし」に寄って食事をしました。大はしの魚料理はいつ食べても美味しい。焼きカキをサービスしていただき恐縮してしまいました。なつかしい景色とお世話になった人に会えて良い1日でした。(写真左は潮受堤防全景です。後ろの山は薄らと雪を被った普賢岳です。右の写真は堤防道路の状況です。遠景の山は多良岳です。)

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2008年1月 1日 (火)

新年のご挨拶

08 新年明けましておめでとうございます。この一年皆様のご健勝を祈念いたします。ブログ「夢酔酒」を本年もよろしくお願い申しあげます。

2008年元旦

芋酎拝

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2007年12月28日 (金)

今年1年有難う

3  今日は12月28日、官庁は仕事納めです。今年も残すところあと3日になりました。今年1年有難う。貧乏ながら元気に過ごすことができました。しかし今年もいろいろあったなぁ。参議院の与野党逆転。安倍総理の突然の辞任。食品偽装問題。ガソリンの値上がり。めまぐるしい1年でした。来年は「子年」。猪から鼠に交代です。鼠は大黒様のお使いです。少し懐が豊かになるといいなぁ。それでは良いお年をお迎えください。(イラストは左が来年の干支「ねずみ」です。右は今年の干支「いのしし」です。)

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2007年12月20日 (木)

霜が降りた

Img_57032 温暖な福岡県南筑後も昨夜は大変冷え込みました。今朝の気温は-1℃。霜が降りていました。草の葉に降りた霜が朝日に当たって輝いて見えたので、写真に撮りました。日中はいい天気で風もなく温かく、凌ぎ易い一日でした。日本列島は明日からまた冬型の気圧配置になって寒くなると報道されています。もうすぐ正月だ。風邪を引かないようにしないといけない。(写真は「仏の座」に降りた霜です。)

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2007年12月11日 (火)

清水寺の千手観音

0712102 071210_2  秋の紅葉を見に、福岡県みやま市瀬高町本吉にある「清水寺」に行ってきました。この「清水寺」は「雪舟」作と言われている、国指定名勝の「本坊庭園」があることで有名です。本寺は約千二百年前、天台宗の開祖伝教大師によって開かれました。寺伝によりますと、伝教大師が唐から帰朝した時、この地で苔むした合歓(ねむ)の霊木に出会われたのです。大師は大地から生えたままのこの木に1丈6尺(約5m)の千手観音像を刻まれました。そしてその翌年大同元年(806)、お堂が建立され、観音様がお祀りされました。このお堂が現在の本堂です。長い歴史をもつ霊験粗方な立派なお寺なのです。参道は紅葉していた紅葉もすっかり落葉していて山は冬の始めを告げていました。(写真左は県重要文化財の「三重塔」です。左は本堂に祀られている「千手観音像」です。どちらの画像も寺のパンフレットから借用しました。)

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2007年12月 1日 (土)

母を想う

071212 071212_2  今度のパソコンに付ける新しいスキャナーを入れました。昨日から使っています。実に使いやすくて楽しい。今日から12月です。実は12月4日が私の母の命日なのです。亡くなって2年になります。生きていた時は何とも思わなかったのですが、亡くなった今になって、母と過ごした時間を思い出します。あんなに困らせたりしなければ良かった。もっと優しく接すればよかった。と反省しています。中学校の体育教師をしていた24歳の時頚椎を損傷して、手足の自由を失った「星野冨弘」さんも母を題材にした詩画をたくさん発表されています。彼の詩を読むと胸がジンとします。母に対する思いがそのまま見ている私達に伝わってきます。実にすなおで良い詩だと思います。今度帰ったら墓参りをしよう。(写真は星野冨弘さんの詩画集「ぺんぺん草」から2篇抜粋したものです。)

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2007年10月17日 (水)

Vistaを入れた

Nx2  今日はパソコンの話です。1か月も書き込みを休んでしまいました。実は1日のうち、書き込む時間はあるのです。他の用事に追われて、その心境にならないのと、何を書こうか考えるのが面倒臭くなって、そのままになってしまっているのが実状です。仕事のことを考えていると他のことが手につかなくなるのです。 7月に、デスクトップとは別に新しくノートの「WindowsVista」を入れました。ところが、これが使ってみると、使いたいボタンが何処に配置してあるのか分らない。書類作成に時間がかかってしまう。USB接続なので、今まで使っていた古い周辺機器が使えない。古いソフトは互換性がなくて使えない。と散々です。結局、ほとんどの物を買換えなければなりません。少し憂鬱になっています。それに比べXPは大変使い勝手の良いソフトです。何でも新しいものが出たら、すぐ飛びつくのはこれからは止めよう。

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2007年9月12日 (水)

研修会に参加した

Y352104027 Y352104031 9月7・8日、PC橋梁会社である「富士ピー・エス」さん主催の研修会に参加してきました。同社は今、長崎県佐世保市とそばの佐々町で計4か所PC橋梁工事をやっています。その4か所とも国土交通省発注の国道497号自動車専用道路の橋梁上部工工事です。各社受注量の減る中、大変な元気です。びっくりしました。当日は佐世保市内の「万松楼」に宿泊しました。何でもこの「万松楼」は明治始めの創業で、伊藤博文が命名したのだそうです。天皇陛下も泊まられた由緒あるホテルです。最近温泉も掘り当て、風呂にはアルカリ泉が湧き出しています。このホテルで参加者全員懇親会を開き、徹底的に呑みました。翌日は新西海橋を通って琴海町にある「パサージュ琴海」でゴルフをしました。「パサージュ琴海」はコースの長いことと、料金の高いことで知られています。スコアは相変わらずですが、観光バスなので車の運転がないので、ビールと焼酎が思いっきり吞めました。実に良かった。「富士ピー・エス」さんありがとうございました。(写真上の左は懇親会の料理です。右は泊まった部屋です。写真下は「パサージュ琴海」の9番ティーグランドから撮りました。赤いサルスベリが大変綺麗でした。)Img_55741

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2007年8月 9日 (木)

日本がアジア諸国に与えた苦難

Shark_4  今日は長崎原爆の日です。毎年8月になると戦争の話が話題になります。その話題の中で日本が受けた苦難や被害については一般的によく語られています。日本の総理大臣がことあるごとに謝っている、アジア諸国に与えた苦難の数々についてはあまり語られていないような気がします。旧日本軍が大陸に侵攻して行った過程で、現地の人々に口では言い表せられない多大な苦難を与えているのです。先の戦争による死者は日本310万人と言われています。アジア諸国での死者の総数は1900万人(日本を除く)を数えています。中国1000万人、インドネシア400万人、ベトナム200万人、インド150万人、フィリピン110万人、朝鮮20万人、ビルマ15万人、・・・。等となっています。その多くは「兵補」「労務者の徴用」、旧日本軍の「現地自活」に伴う食糧不足、抗日勢力の「粛清」「虐殺」「働き手を取られた人たちの餓死」、等と言われています。又、1939年から41年まで、三次にわたって行われた、中国重慶に対する無差別・戦略爆撃機による犠牲者は、中国側の発表によれば、死者1万9千人に達したとされています。極めつけは、1941年6月5日旧日本軍が重慶の防空壕を爆撃し、避難していた2500人の人達が死亡し、世界を驚愕させました。1944年11月から1945年8月にかけて行われた、日本の都市無差別爆撃は重慶空襲の報復であり、「重慶の負の遺産」だと言われています。私達はアジア諸国にしたことを決して忘れてはいけない。二度と戦争をしてはいけない。(写真は主題とは関係ありませんが、終戦間近旧日本海軍が手にした最後の戦果、潜水艦「伊58号」が南太平洋上で撃沈した、アメリカ海軍の重巡洋艦「インデアナポリス号」です。)

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2007年8月 6日 (月)

広島に原爆を落とされた日

509pxnagasakibomb Hiroshima_aftermath  62年前の今日、1945年(昭和20年)8月6日8時15分、アメリカ大統領トルーマンの命令でB-29(エノラ・ゲイ)が広島に原爆リトルボーイ(濃縮ウラン型)を投下しました。3日後の8月9日11時02分には、長崎にB-29(ボックスカー)が原爆ファットマン(プロトニュウム型)を投下しました。この原爆投下によって、広島、長崎、合わせて約30万人の人達が尊い命を奪われました。又、今も多くの被爆者が後遺症に苦しんでいます。アメリカは原爆の投下によって第二次世界大戦を終結することができたと、原爆投下の正当性を主張しています。アメリカの人達は広島、長崎に来て、惨状を目の当たりにすれば、そんな言葉はただちに引っ込むと思います。日本の総理大臣は、アジア諸国の人達に事あるごとに先の戦争について、謝っています。天皇陛下も謝りました。アメリカ大統領は日本に対して一度も謝ったことがありません。原爆の平和式典にアメリカ大統領を招待したいものです。アメリカと仲良くするのは良いことだけど、日本人としてアメリカのしたことを決して忘れてはいけない。(写真左は長崎に投下された原爆のキノコ雲です。右は原爆投下直後の広島の惨状です。写真はウィキペディアから借用しました。)

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2007年8月 2日 (木)

トンボを見つけた

71587341  8月2日、台風5号の接近でここ福岡県筑後地方も午後から風が少し強くなって、雨も時々降っています。このあたりは柳川の水郷に代表されるように、クリーク(人口の農業用水路)が至る所にあります。雨と水郷は郷愁を呼ぶ風景です。その水郷クリークの水辺を最近見かけなくなったトンボが飛んでいました。子供の頃は夏休みになると1日中ギンヤンマを追いかけていたことを思い出します。トンボは肉食です。飛んでいる蚊や蝿を捕まえて食べます。ヤゴも水中の虫や小魚を食べます。トンボもセミと同じように、幼虫時代が長く5年から8年も水中生活を送るのだそうです。ヤゴは水中でエラ呼吸をします。トンボになったら気門から空気を取り入れて呼吸する不思議な生物です。言うなれば昆虫の両性類版です。こうして、トンボ1つをとっても不思議なことだらけです。参議員選に負けた安倍首相が止めないのは、トンボの不思議さに比べたら比較にならないのです。不思議でも何でもないのです。(写真は赤トンボです。)

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2007年7月24日 (火)

カササギがセミを食べた

71666541  ここ福岡県の南筑後には「カササギ」が住んでいます。春になると、電柱に巣をかけるので九電の人に嫌われています。(これは私が思ったことで確認はしていません。)この鳥は元々佐賀県に生息していましたが、住み心地がいいのか、今では佐賀県内だけでなく、長崎県の諫早市、福岡県の筑後地方にまで生息域を広げています。ハトより少し小さい白黒のきれいなカラス科の鳥です。なんでも、この鳥はその昔、豊臣秀吉が朝鮮征伐にいったおり、お土産に持って帰ったものだそうです。それが逃げたか、逃がしたか分かりませんが、自然界に広がったのだそうです。昨日の夕方のことです。事務所の前の庭木の方から「ジージー」とセミの泣く大きな声がしてきました。見るとカササギが泣きもがいているクマゼミを食べているのです。生まれて1週間の命のセミが1日か2日で命を落としているのです。むごい。改めて自然界の厳しさを目の当たりにしました。あんなきれいな鳥が泣き叫んでいるセミを食べる凄惨な姿にはほんとびっくりしました。(写真は「カササギ」です。)

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2007年7月20日 (金)

38年前人が月に行った。

Apollo01 Apollo04  今から38年前の1969年7月16日、ケネディ宇宙センターから打ち上げられた3人乗りの有人宇宙船「アポロ11号」が、4日後の7月20日見事月面に着陸したのです。かぐや姫が帰っていった月に、人間が降り立ったのです。月面活動の様子は当時テレビで放映され、世界中の人が見たものです。最近になって、実際は月に行ってなかったのではないか?。と言う話があります。上の右の写真の旗が空気のない月ではためいています。左の写真は旗には影があるけど、人間には影がない。後ではめ込んだのではないかと言うことです。アメリカがこんなことで嘘をつくとは思われませんが、そうゆう目で見ると何だか変な気もします。しかし、宇宙は謎だらけです。人類の知らないことがたくさんあるのだと思います。

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2007年7月13日 (金)

クマゼミが鳴いていた

10183614  今朝、台風4号が接近する中、出先から帰ってくると、庭木に「クマゼミ」が止まり、「ワシワシワシ・・・」とうるさく鳴いていました。今年始めて聞く第一声です。筑後地方にも夏が来たのです。もう季節は夏です。それにしてもセミの声はうるさい。暑さが体の中から滲み出てきます。この梅雨の長雨で水不足の話も解消です。台風が去ったらいよいよ梅雨明けです。ビールの美味しい季節がやってきます。お湯割りもいいけどこれから焼酎は、ロックがいいなぁ。(写真はセミです。私が撮ったのではありません。)

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2007年7月12日 (木)

書き込みを再開します

Kumawelcome とうとうブログの書き込みを1ヶ月半休んでしまいました。その間季節は晩春から梅雨へと移り、毎日うっとうしい日が続いています。このところ仕事の方も少し落ち着いてきたし、会う人ごとに再開を即されるので、思い切って書き込みを再開することにしました。ご覧になった皆様には 「思ったこと、気が付いたこと」 何でも結構です。コメントを入れていただければ元気が出ます。(イラストは犬ではありません白くまです。)

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2007年5月25日 (金)

当分の間書込みを休止します

Fukusuke  昨年の9月22日にブログを始めて8ヶ月になります。建設業は今、各社生き残りをかけて必死に頑張っているところです。私の勤めている会社もご多分に漏れず同様な状況が続いています。私も毎日現場を巡回して指導して周っています。そんなことで、こんな時期にのんきにプログなどを書いている場合ではないと判断し、残念ですが当分の間書込みを休止することにしました。落ち着いたら再開しするつもりです。ではそれまでお休みをいただきますのでよろしくお願い申し上げます。(夢酔酒 芋酎)

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2007年5月 8日 (火)

陶の道を歩いた

Photo_24 Photo_25 私の自宅の近く山口県周南市福川に若山と言う城山があります。この山は戦国時代中国地方と九州北部を治めていた大内氏から別れた陶氏の出城の在ったところです。謀反を起こして大内氏を滅ぼした陶氏は結局毛利氏に滅ぼされてしまいます。その陶氏最後の武将陶晴賢の高徳を記念して53日若山城跡登山口で「若山城跡顕彰碑」の除幕式がありました。引き続き「美しい日本の歩きたくなる道500選」に選ばれている「陶の道ウォーク」に参加しました。参加人員は350人にのぼり大変な賑わいでした。この碑の設置とウォークは私芋酎の竹馬の友中村氏の企画と骨折りによるものです。中学校の時の同級生6人が参加して15キロの新緑の山道を5時間かけて歩きました。すがすがしい1日でした。又、来年も参加しよう。(写真左は除幕式の状況です。右は若山城跡顕彰碑全景です。)

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2007年5月 2日 (水)

新緑のハウステンボス

Photo_18 Photo_20  4月29日ゴルフが早く終わったのでハウステンボスによってみました。ハウステンボスでは今、「星野冨弘展」が開催されています。それを見ることが目的です。園内はオランダ風にまとめられ、異国に行った様な錯覚を起しました。庭園も日本庭園とは風景が違い、自然界にはない完全に作った景色です。「こんなのもいいな!」と思い写真を撮りました。萌えるような新緑が目を楽しませてくれます。紅葉がない洋風庭園は今の時期が1年を通して一番いいのかも知れない。

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2007年4月16日 (月)

諫干潮止10年

Jpg_3 Photo_11  先週の土曜日4月14日は諫早湾の潮受堤防をゲートで締め切って潮止をした日です。1997年のことです。あれから10年経ちました。聞くところによると来年から入植者が入植してきていよいよ営農が始まるのだそうです。干潟を締め切って干拓地を造成して農地を増やすのが良いのか、干潟を保全して自然を守るのが良いのか、私、芋酎には良く分りません。潮受堤防全長7kmのうち1.2kmをスイッチを入れて40秒間。あっという間に締め切りが終わりました。これを界に干潟が広大な淡水湖に姿を変えたのです。このことは土木工学的な見地からすると、今までの土木技術の集大成とも言える大きな出来事だったのです。日本国内ではもう二度と見ることの出来ない光景だと思います。いろいろな人の想いを残して事業が今、完成しようとしています。潮止10年、この事業に携わった一人として、数々の思いがこみ上げてきます。(写真左は潮受堤防全景です。遠くに見えるのは普賢岳です。写真右は潮止の瞬間です。順番にゲートが落ちて行っています。)

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2007年4月13日 (金)

巌流島の決闘

Ganryuhekiga  今日は今から約4百年前、1612年(慶長17年)4月13日(旧暦)、舟島(後に巌流島)で宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした日です。一般には、吉川英治の小説「宮本武蔵」で広く知られています。吉川英治の小説は、どうも決闘42年後武蔵の養子で小倉小笠原藩の家老宮本伊織が書いた「小倉碑文」が元になっているようです。一方決闘当時門司城代であった沼田延元の子孫が1672年(寛文12年)に編集し、近年再発見された「沼田家記」があります。内容を要約すると次のとおりです。宮本武蔵信玄が豊前に来て二刀兵法の師になった。この頃すでに、小次郎という者が岩流兵法の師をしていた。門人の争いによって武蔵と小次郎が試合をすることになり、双方弟子を連れてこないと定めた。試合の結果、小次郎が敗れた。小次郎の弟子は約束を守り一人も来ていなかったが、武蔵の弟子は島に来て隠れていた。その後勝負に敗れ気絶した後、蘇生した小次郎を武蔵の弟子達が皆で打ち殺した。それを伝え聞いた小次郎の弟子達が島に渡り武蔵に復讐しようとした。武蔵は門司まで遁走して城代の沼田延元を頼った。延元は武蔵を門司城に保護した。となっています。又、江戸時代の地理学者古川古松軒が1783年に書いた「西遊雑記」によると巌流島決闘に関する民間伝承が記録されています。赤間ヶ関(下関)で地元の伝承を聞いた話です。巌流が武蔵と約束をし、伊崎より舟島に渡ろうしたところ、浦の者が巌流を止めた。「武蔵は弟子を大勢引き連れて先ほど舟島に渡りました、多勢に無勢、一人ではとても適いません、お帰りください。」しかし巌流はこう言って強引に舟島に渡った。「武士に二言はない、渡らないのは武士の恥、もし多勢にて私を打つなら恥じるべきは武蔵。」浦人の言った通り、武蔵の4人の弟子が加勢して、ついに巌流は討たれた。しかし巌流を止めた浦人たちが巌流の義心に感じ入り墓を築いて、今のように巌流島と呼ぶようになった。以上です。歴史はミステリーですね。どれが本当か分らない。私は古川説を応援するなぁ。(写真はいちかわたけし氏のイラストです。関門橋が書いてあるのが楽しい。)

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2007年4月12日 (木)

清水寺の撫でぼんさん

Photo_9 Photo_10  福岡県みやま市瀬高町本吉に清水寺があります。この寺は地域の人々の深い信仰を集めています。又、観光バスがやってくる名所としても知られています。この寺の奥の院に青銅で出来ているお坊様が祭られています。このお坊様は人々から「撫でぼんさん」と呼ばれ親しまれています。なんでも、自分の体の悪いところがあれば、「撫でぼんさん」の体のその場所を撫でて、その手で自分の悪いところを撫でた後拝むと、悪いところが良くなると言われています。私も頭が悪いので良くなるように頭を撫でて、拝んできました。今のところまだ効き目は現れていないような気がします。「撫でぼんさん」は皆から撫でられるのでピカピカに光っています。霊験粗方なお坊様なのです。(写真左は奥の院です。写真右は「撫でぼんさん」です。)

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2007年4月10日 (火)

青の洞門の話

Aodomon43_1 800pxaonodomon02 菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で有名な「青の洞門」が今から244年前、1763年(宝暦13年)の今日、4月10日に完成したと言われています。この芋酎も中学生の頃、この小説を読んで感動しました。手伝っているうちに仇討ちに来た実之助もいつしか憎しみを忘れ、洞門が貫通した時、僧了海(禅海)と手を握りしめ、二人が涙を流すところは、何度読んでも涙が出てきました。しかし実際の話はかなり違っているようです。禅海は托鉢をして歩き、その集めた金で石工を雇ってトンネルを掘ったのだそうです。人殺しもしていなかったそうです。禅海が旅の途中、この地を通り過ぎようとした時、川に落ちて亡くなった旅人を弔います。聞けば毎年10人の人が命を落とすと言う。ここの岩盤を貫いて道を作れば100年で千人の人が救える。これこそ自分に与えられた仕事である、と洞門作りの大発願をしたのだそうです。村人も支援しました。ノミと槌だけで着工後30年かかって342mの洞門が見事完成しました。しかし完成後、禅海は通る人からチャッカリ通行料を徴収したとのことです。全く!。これでは善意が薄れてしまう。だからこの「青の洞門」が日本最古の有料道路だったのです。(写真左は青の洞門付近、断崖絶壁の難所です。写真右は手掘りの青の洞門内です。参考に青の洞門の民話を添付します。)「aonodoumondennsetu.doc」をダウンロード

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2007年4月 5日 (木)

画像対策について

71077791_1  ココログでは、今まで画像を自動的に縮小していましたが、3月28日バージョンアップした際、100%に直したしたのだそうです。従って今後の対策として、デジカメ画像のような大きい画像は書き込みの段階で縮小して掲載することにしました。画質は少し落ちますが、画面の中に全画像が納まるように致します。4月2日と3日の画像は既に画面内に収まるよう調整してありますのでお試しください。(写真はタマゴよりニワトリが縮小されています。)

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2007年4月 4日 (水)

ネアンデルタール人がいた

Neanderthaler_fund_1 我々現世人類に近い、別人種ネアンデルタール人がヨーロッパを中心に住んでいました。このネアンデルタール人は約20万年前に出現し約2万5千年前に突然滅亡してしまいました。火をおこし、石器を使って料理や猟をし、死者を花で飾って葬る等、高度な文化をもっていました。ある、一体の人骨には右腕の肘から先はなく、右足に関節炎を患い、左眼を失明していたという過酷な生活環境のなかでも40歳の高齢に達していました。これは仲間や家族の介護があったことが想像されます。現世人類の先祖とは約55万年前に別れ、別に進化を遂げた人類だそうです。彼らが滅亡する2万5千年前までは現世人類と共存していたことになります。背丈は165cm、体重が80kgくらいで筋肉質のがっちりした体格だったそうです。顔の彫りが深く白人の顔に近い容貌で、寒い気候に順応した胴長短足だったそうです。何故亡んでしまったのか。現世人類に滅ぼされてしまった。病気に感染して亡んだ。いろいろ説があるのですがよく分っていないのだそうです。我々人類もネアンデルタール人のように終わりを迎える時が来るかも知れない。いや、その時が来ないようありとあらゆる手を尽くさなければいけない。(写真はネアンデルタール人の顔です。)

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画像が大きくて見られない

Hana_02  ブログ画像の詳細を見ようと思い、画像をクリックすると大きな画面になりすぎて見たいところが見れないと言う、コメントがありました。4月になって大きな画面になるようになりました。原因は分りません。今、プロバイダーの方に問い合わせているところです。対策としては大きい画像を右クリックして「名前を付けて画像を保存」を選んでください。それをクリックして他のフォルダに画像を保存してください。保存した画像を開くときれいな画像を見ることができます。お手数をかけますがよろしくお願いします。

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2007年4月 2日 (月)

清水寺の三重の塔

515422  福岡県みやま市瀬高町に室町時代に建立された「清水寺」があります。前にも書きましたが、このお寺には雪舟作の庭があることで知られています。3月30日(金)その清水寺へ花見方々お参りに行きました。調度桜が満開で新緑の中に白やピンクが映えて、とてもきれいでした。この清水寺には三重の塔があります。前に桜を入れて三重の塔を写真に納めてみました。

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平成19年度がスタートした

Maki_10  いよいよ平成19年度がスタートしました。それにしても年度末は大変でした。やっと仕事も片付き一息いれたところです。お陰でブログの方も半月近くご無沙汰してしまいました。これから又、ボツボツ書いていこうと思っています。外では燕がやってきて電線に止まってさえずっています。静岡では昨日気温が31.5℃にもなったとニュースで言っていました。この分だと今年の夏はとてつもなく暑くなりそうだ。ビールの買いだめが必要かも知れない。

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2007年3月21日 (水)

九州の王磐井

Iwairan22  私のいる隣町、福岡県八女市に岩戸山古墳があります。この古墳は前方後円墳で、全長135m、後円部径60m、前方部幅90m、で九州最大級の大きさを誇っています。被葬者は6世紀後半、北部九州を支配していた筑紫国造磐井の墓と言われています。通説では筑紫君磐井と呼ばれています。まだ大和政権が固まった頃の話です。527年6月、新羅に奪われた南加羅を取り返すために大和政権は6万の兵を任那に派遣しました。新羅からの連絡を受けた磐井は豊・肥の兵を動員して、大和政権の進軍を阻止するとともに朝鮮半島から来航する朝貢船を押さえてしまいました。同年8月、怒った大和政権の継体天皇は兵を筑紫に派遣しました。528年11月、磐井軍と大和軍は激しい戦闘の末、筑紫三井郡で磐井は捕らえられ斬られたとされています。これが磐井の乱です。この地は神武天皇東征後も、大きい豪族が支配していたのです。今でも、このあたりは山門と言われています。磐井が九州王朝(邪馬台国)の末裔だとの説を唱えている人もいます。遠い昔を想像するのもたまには良いものです。(写真上は岩戸山古墳の石碑です。写真下は全景です。)Iwairan10

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2007年3月 8日 (木)

城の話

Nagoya10  城を築くことを城取り。城の計画や設計を縄張。石垣や堀、土居を築く土木工事のことを普請。御殿や城門、櫓を建てる建築工事のことを作事。と言います。城づくりは土木工事が主体で、建築工事は付属でした。城は守るためのものだからです。土塀の外側を犬走り。内側は武者走り。と言います。水堀から立ち上がる石垣の基礎には赤松の胴木が敷き詰めてあります。石垣から地盤にかかる大きな荷重を広く均等に地盤に伝達するためのものです。石垣の不等沈下や崩壊を防ぐ目的です。堀の水面下にある、胴木は腐食しません。古人から伝わる知恵の一つです。力学的に合理的な石垣として有名な熊本城の石垣は、高さの半分以上から反らせてあります。藤堂高虎の築いた伊賀上野城は30mの高さの石垣が一直線になっています。このような技術上の知恵は今も土木構造物の設計に生かされています。城と言えば名古屋城の天守を飾る金の鯱が有名です。今の鯱は雄雌合わせて80kg (18K)使われています。作った時は純金で215.3kgの金が使われていたそうです。1g 2千円とすると、4億3千万円にもなります。すごい。凧に乗って盗ろうとした石川五右衛門でなくてもほしくなるなぁ。(写真上は名古屋城天守閣です。写真下はその金の鯱です。どちらが雄か雌か私には分りません。掲載の写真は「和田フォトギャラリー:和田義男」さんから借用しました。)Nagoya13 Nagoya14

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2007年3月 1日 (木)

3月は〆の時期

200418717001  今日から3月が始まりました。3月は別れの季節です。お昼のニュースでは高校の卒業式の様子を放送していました。日本の会計年は、1年度が4月1日から翌年の3月31日となっています。従って3月は会計の〆の時期にあたります。外では今の時期、高速道路を走っても、一般道路を歩いても、そこらで道路工事をやっています。待たされるし、道は悪いし、危ないし、使用者にとっては大迷惑です。良く見ると、どの工事もほとんど3月下旬が完成予定となっています。私が勤めている会社も3月下旬が工期の仕事を抱えて大忙しの状況です。花鳥風月と優雅な話をしている場合ではないのです。3月は、私芋酎も少し頑張らないといけない。この分だと、ブログが書けない日が出てくるなぁ。(写真は道路工事の状況です。)

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2007年2月28日 (水)

浅間山荘事件

Asamayamas  そう、思い出しました。今から35年前の1972年(昭和47年)2月19日、「連合赤軍」生き残り5人が長野県軽井沢町、河合楽器の保養所「浅間山荘」に管理人の女性を人質に立て篭もりました。彼らは銃器で完全武装していて、簡単には近付けない状況が続きました。10日後の2月28日、警察はビル解体用のモンケン(鉄球)を付けたクレーンを持ち込み、山荘の壁を打ち破って機動隊を突入させました。激しい銃撃戦の末、人質は無事救出され、5人は逮捕されました。この救出劇で民間人を含む警察官ら3人が射殺されました。銃撃戦の一部始終はテレビ中継され、当時の社会に大きな衝撃を与えました。当日朝10時からクレーンが壁を壊し始め、5人の逮捕と救出に成功したのが午後6時半頃だったと思います。私も、昼食時間から逮捕まで、仕事を忘れ、息をのんでテレビを見ていました。東大安田講堂事件依頼、左翼活動が過激化しましたが、この時連合赤軍は最後の破局を迎えたのです。(外国へ逃げ延びた人達も数人いましたが。)日本の高度成長時代の負の部分の一つだと思います。余談ですが、この時、機動隊は食事を取ろうにも弁当が凍って食べられません。それで、お湯を注げば食べられる「日清のカップヌードル」を持ち込み、食べる姿がテレビに映りました。これを境に日本中でカップヌードルがヒットしました。(写真は浅間山を上空から撮った写真です。参考に連合赤軍と20歳の原点を添付します。)「19691972_4.mht」をダウンロード

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2007年2月27日 (火)

人生に不可能はない

Photo_4  昨日(2月26日)カーラジオを聞いていたところNHKの「わくわくインタビュー」に佐藤正純さんが出演されていました。この佐藤さんは横浜市立大病院の脳神経外科医でした。37歳(1996年2月)の時、医者仲間と北海道のスキー場に行き、スノーボードで滑っていて転倒しました。転倒した時頭部を強打し、意識不明になって、ヘリで救急病院に運ばれました。状況は頭部外傷事故で大手術の末、1ヶ月後に奇跡的に意識を取り戻しました。しかし、待っていたのは、視覚障害(失明)、記憶障害(高次脳機能障害)、歩行困難(マヒ)、と言う三重苦でした。その後、趣味の音楽を手始めに懸命なリハビリを続けました。6年後の2002年、三重苦を乗り越え医師免許を生かして、医療専門学校の非常勤講師として再出発しました。今でもリハビリを重ねながら講師以外に、重度障害を負った障害者のリハビリ体験について語る公演活動。横浜市内のセミプロジャズバンド「NKST(ネクスト)」。杉並区の障害者バンド「ハローミュージック」のバンドマスターとして活躍されています。「障害を負ったからといって人生観を変える必要はありません。昔の自分に新しい自分を重ね着すればいい。1粒で2度美味しい人生を送れて幸せですよ。」とおっしゃる佐藤さんの話を聞くと我々健常者も大いに勇気付けられます。いやー、人生に不可能はないなぁ。(写真はクリスマスコンサートの状況です。奥が正純さんで手前が奥様の真保さんです。参考に「優しき挑戦者(国内篇)」を添付します。)「satou_masazumi.mht」をダウンロード

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2007年2月21日 (水)

志賀島の金印

Photo_3 Kinin0061_1 天明4年(1784)志賀島(現在福岡県)の農民2人が田んぼで「漢委奴国王」と記された金印を見付けました。今ではこの発見が、日本の歴史的大発見であることは、誰もが認めるところです。発見当時、これが何であるか分りませんでした。そんなこんなの末、福岡藩の藩校「甘棠館」館長で儒学者の亀井南冥に鑑定を依頼することになりました。南冥は金印を見て、「後漢書」「魏志倭人伝」の記述を証明する重要な発見である、と鑑定しました。しかし、藩士や学者の間で、後漢の皇帝が奴とは何ごとだ。奴隷扱いではないか。国辱だ、と言う声があがり、つぶして馬具の飾りにしよう、と言う話になったそうです。南冥は身を挺して金印を守りました。その後南冥の意見が入れられ、福岡藩黒田家で保管することが決まりました。金印が発見されて約220年、金印は黒田家から福岡市に寄贈され、現在では福岡市早良区の市博物館に常設展示されています。後漢書・倭伝によると、建武中元2年(57)に倭の奴国から朝貢に来たので光武帝が奴国の王に賜ったと言うことらしいです。卑弥呼が朝貢した約200年も前に既に、九州では大陸と交流があったのです。それにしても、亀井南冥の眼力はすばらしい。馬具の飾りにならなくて良かった。何でも鑑定団にも出てもらいたい。(写真は志賀島の金印です。)

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2007年2月16日 (金)

清水寺「雪舟の庭」

Img_3232  私の住んでいる近く、みやま市瀬高町本吉に、室町時代建立された「清水寺」があります。この寺には雪舟の作と言われている庭園があります。幼い日の雪舟が修行に入った宝福寺で、絵ばかり好んで、お経を読もうとしないので、寺の僧は雪舟を仏堂に縛りつけてしまいました。雪舟は床に落ちた涙を足の親指に付け、床にねずみを描きました。僧はその見事さに驚き、以後絵を描くことを許した、と言う逸話が残っています。雪舟はその後、遣明使船で明へ渡航。2年間本格的な水墨画の研究をしました。帰国後は、日本の水墨画を一変させ、後世の画家に大きな影響を及ぼしました。画聖とも称えられています。この「雪舟の庭」、清水寺本坊庭園は昭和4年国指定名勝となっています。まわりが小高い山にかこまれ、台地の下に池や島を設け、ゆるやかな滝と急な滝が心の字をかたどった池にそそがれて一つになっています。池や島には巧みに石を配置し、自然美を生かした泉水庭です。東南の山から出る月を眺められるよう、憎いほどの心配りがしてあります。私、芋酎も浮世を忘れ、水墨画の世界に浸ってみたい。(写真は清水寺の「雪舟の庭」です。11月、本堂の縁側から撮ったものです。)

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2007年2月14日 (水)

今日はバレンタインデー

Bigpinkheart  忘れていました。今日(2月14日)はバレンタインデーです。何でもローマ帝国時代、兵士の士気が下がると言う理由から、ローマでの兵士の婚姻は禁止されていました。でも、キリスト教の司祭だった聖バレンタインが、秘密に兵士を結婚させたのです。そのことがばれて捕らえられ、2月14日処刑されたのだそうです。どうしてそうなったのか分りませんが、この日がキリスト教徒の祭日になり、恋人達の日になったのだそうです。秘密に結婚した兵士はその後どうなったのかなぁー。気になるなぁー。日本ではチョコレートの年間消費量の1/4がこの日に消費されるそうです。今や女性は「本命チョコ」「義理チョコ」「友チョコ」と大変なのです。そうして結婚し、うまくいかなくなると「離婚しようか」と言う話になります。最近日本でも、離婚が増えて離婚率が2%だそうです。トップのロシアが4%台です。人間、愛だけでは生きられないのです。愛は永遠ではないのです。よけいなことを書いてしまいました。(上の写真は、1910年のバレンタインデーのポストカードです。参考に「主要国の離婚推移(1947年~)を添付します。)「1947.mht」をダウンロード

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2007年2月 6日 (火)

トリインフルエンザ

Dv1637004  最近、トリインフルエンザが報道を賑わしています。今年に入って宮崎県で3ヶ所、岡山県で1ヶ所、計4ヶ所の養鶏場のニワトリが処分されました。人から人へ感染するようにウイルスが進化したら、国内で最大64万人が死亡すると言う恐ろしい話を報道していました。このウイルスは何でも、元々は野生の水鳥を宿主として存在していて、若鳥の20%が感染していた例もあるそうです。水鳥の腸管で増殖し、鳥間では水中の糞を媒介に感染するのだそうです。水鳥は感染しても発症しませんが、家禽類(ニワトリ、七面鳥、ウズラ等)に感染すると非常に高い死亡率をもたらすものがあります。締め切った鶏舎の中のニワトリがどうして感染するのか疑問です。専門家によると、鶏舎の近くに感染した水鳥の糞があると、ねずみとかハエ等の昆虫が、鶏舎内に持ち込む可能性がある。又、人の長靴の底にくっついて鶏舎に入ることが考えられるそうです。従って完全に防ぐ手立てはないのが現状だそうです。私達の考えられる対策としては、健康な体を維持する。出きるだけ人ごみをさける。体を清潔に保つ。身辺を清潔にする。くらいしか考えつきません。感染したら神仏にすがりついてお祈りをする。くらいかなぁ。とにかく大変なウイルスらしいので気を付けないといけない。(写真はニワトリの雄です。)

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2007年2月 5日 (月)

八代のツル

Turu_05big  ツルの渡来地として、鹿児島県の出水が良く知られています。もう一箇所、私の出身地の山口県周南市八代にも毎年秋が深まるとツルが越冬のため渡来します。この八代はツルの渡来地として国の特別天然記念物に指定されています。ここ数年は20羽前後となっていますが、1940年頃には300羽を越すツルが越冬していました。江戸時代には、毛利藩が毎年ツルを捕獲して徳川将軍家に献上していたそうです。多い年には75羽も献上した記録があるそうです。将軍家にはツルの料理のレシピも残っているのだそうです。江戸時代にはツルを食べていたのです。美味しかったのかなぁ。それとも1羽食べたら千年生きられるからかなぁ。大正時代から給餌する等手厚い保護がなされています。たくさん渡来してくれるよう地元の皆さんが熱心に取り組んでいますが、今のところ増羽には繋がってないようでようです。(写真は八代のツルです。)

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2007年2月 2日 (金)

五千円札の樋口一葉

Higuchi_ichiyou  明治の小説家樋口一葉は1872年(明治5年)東京で生まれ、19歳で小説を書き始め、肺結核を患い24歳で亡くなった偉大な女性です。小説家としての生活は、わずか14ヶ月でしたが、数々の作品を残しています。一葉の肖像は五千円札に採用されていることでも知られています。お札に採用された女性としては神功皇后(1881年発行の壱円札)、紫式部(弐千円札の裏)に続いて三人目です。彼女はお札になっているにも関わらず、随分貧乏だったようです。いつもお金に困っていました。たくさんの男性にお金を無心していて、その借りたお金はほとんど返していないのだそうです。一葉は、貸してくれた人に感謝したり、恐縮したりしませんでした。逆に思ったより少ないと腹を立てたそうです。又、貸すと約束して貸さなかったら怒り狂ったそうです。今まで抱いていたイメージと全然違うなぁ。お札の肖像を見ても美しい顔立ちで、そんな女性には見えないけどなぁ。女性は分らない。(写真は樋口一葉です。「山梨県立文学館蔵」)

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2007年2月 1日 (木)

日本のお金持ち

71849283  私はしがないサラリーマンで金に縁がありません。一度でいいから、2~3百万円ボッケに入れて一晩で使って見たいと常々思っているのですができません。お金持ちとは、年収1億円以上を複数年に渡って維持している人。世帯年収2千万円以上稼いでいる人達を富裕層と言うのだそうです。1500万以上をパワーリッチ、750万~1500万をプチリッチと言います。日本には金融資産1億円以上と言う富裕層が40~60万世帯あって、その内70%が首都圏、大阪、名古屋、福岡に集中しているのだそうです。1世帯平均3人とすると、1000世帯の内15世帯が1億円以上のお金持ちと言うことになります。こうして見るとお金持ちはたくさんいるのだなぁ、と思います。我々貧乏人にとっては羨ましい限りです。勝ち組と負け組に二分化している今、格差社会が広がり、これから益々貧富の差が出てきそうです。本音を言うと私だけでいいから何とかならないかなぁー。(イラストは金が蝶になって飛んでいっている画です。数値は野村総合研究所:著 「新世代富裕層の研究」 を参考にしました。)

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2007年1月29日 (月)

人口調査記念日

Fli_015   今日(1月29日)は人口調査記念日だそうです。今朝、NHKのラジオ放送、「今日は何の日」で言っていました。何でも1872(明治5年)の今日、始めて全国戸籍調査が行われたのだそうです。その時の調査によると、日本の総人口は3311万人でした。歴史資料に基づきますと、飛鳥時代、奈良時代には律令制度が導入され、6年に一回年籍が作られました。人口調査は税金を課すためのもので、当時は女性の方が税金が安いということで、異様に女性の比率の高い集計結果となっていたそうです。その後、律令制度が衰退し、戸籍も作られなくなりました。現在の人口調査は「国勢調査」と言う形で行われています。この国勢調査では、毎回女性の既婚者の方が男性の既婚者より多くでると言う不思議な現象が起こっているそうです。理由はいろいろ考えられるのですが、よく分らないそうです。歴史人口学の権威、鬼頭宏氏によりますと、日本の人口推移は、8千年前の縄文前期2万人、2千年前の弥生時代60万人、1600年頃は1千2百万人、江戸時代が3千万人、明治以降爆発的に人口が増えて、今では1億2千6百万人となっています。同氏は人口は今後減り続け2100年には6千4百万人くらいになるだろう、と予測しています。食料自給率を上げるためには、人口が少し減った方が良いし、若い人達の負担が増えることになるし、人口問題は我々凡人には良く分らない。(参考に鬼頭宏氏の「人口の超長期推移」を添付します。)「1150.gif」をダウンロード

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2007年1月25日 (木)

談合してはどうしていけないの?

56503539  日本の就労人口は約6千万人で、総人口1億2千万人の約半分です。一方日本の建設産業には600万人の人が従事しています。就労人口の1割が建設関係従事者です。このところ建設工事の談合が社会問題になっており、先日もスーパーゼネコンが談合問題で家宅捜索を受けていました。日本は戦国時代の昔から、最近まで4百年以上話し合いを行い、皆で仕事を分けてあってきました。お陰で極端な金持ちもできない、又、極端に貧乏な者もでない、平等な社会を構築してきました。話し合って物事を決めることがどうしていけないのでしょうか。話し合って仕事を分け合った時代、建設業者はたくさん利益を得ていたでしょうか。建設産業に従事する者はほとんどの人が貧乏です。現在のように不当な競争を続けていたら、600万人の生活が立ち行かなくなることが目に見えています。アメリカでは労働者の1/4にあたる3000万人の労働者の年収が1万9千ドル(220万円)以下だそうです。一握りの超金持ちとたくさんの貧乏人の社会です。今一番しなければいけないことは、政治と建設業界の癒着を正さなければいけない。政治家との癒着を断ち切らなければいけない。談合が適法となるよう法律を改正して、国民に納得してもらえるようなオープンな話し合いを行い、落ちこぼれを造らない社会にしたい。今日はちょっと気負い過ぎたかな。

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2007年1月19日 (金)

省エネに風呂敷を使おう

Cut_494 Img10302546955 最近、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出抑制策の一環として、スーパーのレジ袋有料化が実施されはじめました。現在日本では年間300億枚のレジ袋が使われていて、原油に換算すると約60万kl(日本1日の原油消費量)に達し、ごみとして出される量は約60万tにもなるのだそうです。以前は一般的に風呂敷が使われていました。大きなものではふとん等を包む1反風呂敷(197cm×197cm)から弁当箱を包む35cm角位の物までいろいろありました。唐草模様の風呂敷は泥棒が使っていた代表的な風呂敷です。(実際の泥棒は使ってなかったと思います。絵や物語での話です。)この風呂敷、古くは奈良時代正倉院宝物の舞楽の衣装包みとして使われたものが残っているそうです。私も書類を包むのに使っていました。役所では、お役人が大事な書類を包んで持ち歩いていました。今でも、検察庁の検察官は伝統的に書類を持ち運ぶ際に風呂敷を使用しています。柄は検察独自の物を使用しており、地検ごとに柄は違うのだそうです。風呂敷は折りたためば小さくなってカバンに入れても場所を取りません。誠に便利な運搬具です。以前は結婚式の引出物にも良く使われていました。省エネに個人レベルで貢献するために、風呂敷を携帯したいものです。すこし大袈裟か。(左は泥棒のイラストです。右は唐草模様の風呂敷です。)

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2007年1月17日 (水)

阪神淡路大震災に思う

2841195  12年前(1995)の今日(1月17日)、阪神淡路大震災(M7.2)が発生しました。この災害で6,400人もの尊い命が亡くなりました。大正12年(1923.9.1)関東大震災(M7.9)では142,000人もの人が亡くなりました。近々東海大地震がくるのではないかとの予想もあります。M6以上の地震の20%が日本で発生しているのだそうです。正に日本は地震国なのです。1900年以降M8以上の巨大地震が世界中で11回発生しています。10年に1回の確率です。最も身近な巨大地震は記憶に新しい2004.12.26に発生したスマトラ沖地震(M9.0)です。20万人もの人が亡くなりました。日本でもM8以上の地震が何時発生するかも知れません。過去の経験を生かし、被害を最小に止めるよう、日頃から準備をしておかないといけない。誰もが地震は起きないだろうと思っていた、福岡で発生したのです。何処で起こるか予測はつきません。昔から怖いものに「地震、雷、火事、親父」と言われてきました。この世で地震が一番怖い災害です。常に非常時に備えた心の準備をしておくことが大切だと改めて思いました。(写真は外国での地震直後の写真です。 )

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2007年1月16日 (火)

再チャレンジの話

Per036_1  フランスでも格差社会が広がり、移民してフランスに渡った人達の中に働き口がなく、借家を追われてホームレスになった人達の話をテレビがしていました。多くの人がセーヌ川の川べりにテントを張って暮らしている様子を映し出していました。今、日本では安倍首相が、「美しい国日本、格差社会の解消、再チャレンジできる社会。」を政治課題に挙げて、政治に取り組んでいます。その中の再チャレンジで、ニートとかフリーターの話が出てきています。ニートやフリーターは失敗してそうなった人達ではありません。まだチャレンジ前の人達です。再チャレンジの名にふさわしい人達はホームレスではないかと思います。ホームレスの人達が、過去のいろいろなシガラミから解かれて、心身共に自由な状態に戻ることができれば、銀行から借り入れもできるし、過去の経験を生かして働くことが出来るのではないかと思います。そうすれば、公園のテントやダンボール箱の家もなくなるし、美しい国になるような気がします。低開発諸国にくれてやる金があれば、その一部をホームレス対策にまわして、再チャレンジと美しい国造りをしてはどうかと思います。まっ、口で言うような簡単な話ではないことは百も承知では有りますが。(イラストは外国のホームレスの画像です。)

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2007年1月15日 (月)

最強の生命体クマムシ

Kuma003 Tardigrades  今日ラジオを聞いていたところ、クマムシの話をしていました。地球環境下で最も劣悪な環境で生きていける動物だと言う話でした。半信半疑で帰ってきて早速調べてみました。このクマムシは何処にもいる動物です。緩歩動物(かんぽどうぶつ)と言われていて、4対8脚のずんぐりとした脚でゆっくり歩くことからきているのだそうです。体長は0.05mmから1.7mmで熱帯から極地方、超深海低から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどあらゆるところに生息しているのだそうです。堆積物中の有機物に富む液体や、動物、植物の体液を吸入して生きています。そこらにあるコケの中にもたくさんいるそうです。通常は体重の85%をしめる水分を0.05%まで減らし、極度の乾燥状態に耐えます。干乾びて丸くなっている体に水をかけると元どうりになるのだそうです。151℃の高温からほぼ絶対零度の-272℃まで耐え抜くことができます。真空から6000気圧の高圧まで生きることができます。高線量の紫外線、57万レントゲンのX線等の放射線に耐えることができます。(人の致死量は500レントゲン)最初の化石は、カンブリア紀の岩石から見つかっているそうです。とにかくすごい怪物です。この分だと火星でも生きて行けそうです。ひょっとすると火星にもクマムシがいるかも知れない。地球上の全ての生物が死滅してもクマムシだけは生き残って、1億年位したらそれから進化した人間みたいな生物がまた出てくるかも分らないですね。クマムシは最強の生命体なのです。(写真左はクマムシのスケッチです。右は走査型電子顕微鏡画像です。)

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2007年1月11日 (木)

老後歩いて日本地図を作った

Kakej  今日(旧暦1月11日)は全国を測量の旅をして、精巧な日本地図を作った伊能忠敬が生まれた日です。伊能忠敬は1745年に上総国(現・千葉県)で生まれました。婿養子に入った伊能家で商人としての才覚を発揮して、伊能家を再興し、50歳(1794)で隠居しました。家督を長男に譲ったのち江戸に出て、幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量学・天文学を治めました。56歳(1800)の時、蝦夷地からの測量をかわきりに、74歳(1818)で亡くなるまで18年間、測量を続けました。伊能忠敬死後、弟子の間宮林蔵によって3年後(1821)「大日本沿海興地全図」が完成しました。それにしても定年後測量の勉強をして、全国を足で歩いて地図を作った訳ですから大変なエネルギーの持ち主です。我々も大いに見習うべきだと思います。最初は自腹でやっていたのですがあまりに出来栄えが良かったので幕府が金を出して続けることになったのだそうです。後年(1828)シーボルトがこの地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚。これに関与した蘭学者(至時の息子高橋景保ら)が処罰される事件がありました。伊能忠敬に、人間死ぬまで頑張る元気をもらいました。とにかく中高年の星です。(上の絵は伊能忠敬の肖像画です。下の地図は伊能大図の一部分です。)Izuchuuzunumazu

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2007年1月 5日 (金)

ゴールしたらアリになろう

3216007  今世間では格差社会が話題になっています。先日ラジオの放送で人間は人生のスタートの時点ですでに差がついているのだということを言っていました。それを聞いて私も全くそのとおりだと同感しました。以後は私の個人的な考えで、偏っているかも知れませんので、そのつもり読んでいただきたいと思います。学校を終えて社会にスタートした時、親の貧富の差で、既に教育に差がついています。又、貧乏だと金がないので借金をして必要なものをそろえます。スタート時点でマイナスの状態です。金が足りないので、以後貯金してものを買わず、借金してものを買うようになるのです。1千万円借金をすると利息だけで月10万円近い金を支払う必要があります。自分の月収から念出しなければなりません。益々、借金に頼るようになり、マイナスが大きくなって、ついには破綻に追い込まれる人が出てくるのです。だから、人生スタートの時から、金を貯金するように努めなければなりません。遊びの道具や、生活費を借金するようでは最低です。ましてや借金してギャンブルをすれば身の破滅です。ほしいものは貯金してその金で買うようにしないといけない。今は、カードで簡単に金が借りれます。しかし借りた金は必ず返済しなければなりません。とにかく周囲の誘惑に負けず、貯金することが大切です。だから、自分はマイナスの状態にあると認識したら、出費を押さえ、生活費を切り詰め、早くゼロの状態になるよう努力しないと、老後はイソップ物語のキリギリスになってしまいます。幸せなゴールを目指し、とにかく将来アリになれるよう努力しよう。これからは年金なんか当てにならないのだから。(写真は外国の市民マラソンのスタートの状況です。)

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2007年1月 4日 (木)

今年も痩せ我慢をするぞーっ

200119364001  今日(1月4日)から私の2007年がスタートしました。今日、私の仕事初めです。年末年始休みは家で焼酎を呑んでひたすら寝ていました。何も考えず酔いに任せて寝る生活も中々良いものです。お陰で今日は身も心もすっきりです。初詣は向う一週間のうちに済ませる予定にしています。今年も去年同様「義理と人情と痩せ我慢」で一年を通したいと思っています。人から遊びに誘われたら先約がない限り断らない。少々のことは痩せ我慢をして出来るだけ参加する。この考えで行動するつもりです。勿論仕事もやります。今年一年よろしくお願い致します。(イラストはミミズクが寝ているところです。わざわざ言わなくても分ってるか。)

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2007年1月 1日 (月)

年始ご挨拶

Jpg_2 新年明けましておめでとうございます。この一年皆様のご健勝を祈念いたします。ブログ「夢酔酒」を本年もよろしくお願い申しあげます。

2007年元旦

芋酎拝

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2006年12月28日 (木)

2006戌年有難う

200455857003  2006年も後3日を残すのみとなりました。今年は戌年です。今年一年有難う。元気に過ごせました。来る年は猪年です。来年は更によい年になるよう願っています。皆様よいお年をお迎えください。芋酎拝。(写真は右が犬で、左が猪です。蛇足かな?)

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2006年12月26日 (火)

元気な橋のクリスマスを見た

Img_49521  私の職場の近くで、大牟田市三池港から佐賀空港を結ぶ、延長約55kmの地域高規格道路有明沿岸道路が建設中です。この道路は国交省が国の事業として進めているもので、有明海沿岸の都市郡の連携と交流促進、国道208号の混雑緩和と交通安全の確保を目的として計画されています。この事業の目玉のひとつ、一級河川矢部川を跨ぐ「新矢部川大橋」(私が勝手につけた名前で正式な名称はまだついていません。)が建設中です。この橋はPC斜長橋と言うタイプの橋で、完成すれば最大支間が261m、日本で一番支間長の長い斜長橋となります。言うなれば日本一の橋が出来るのです。工事は「清水建設」と「川田建設」のJVが右岸側を担当して進められています。(右岸とは川を下流に向かって右側の岸のことを言います。)現場技術者はO所長以下、橋梁工事超専門家集団の集まりです。今日(12月25日)はクリスマスです。焼酎を呑むのを後回しにして、現場の夜景を見に行ってきました。建設業は今、談合問題や低入札問題、市場の縮小等の問題を抱え、元気がありません。しかし、ここだけは違っていました。高い主塔がクリスマスのイルミネーショウンで飾られ、大変な元気を感じました。真っ暗の中、まだ作業が続けられています。私も元気をもらいました。担当の方に聞いたところ、イルミネーションは26日から正月バージョンに変わるそうです。夜はいつも一人だから又見に来よう。少し寒い、早く帰って焼酎を呑もう。(写真は右岸上部工の建設夜景です。シャッタースピードを遅くしたので手ブレしてしまいました。三脚の必要性を痛感しました。下は完成予想図です。)061226

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2006年12月21日 (木)

川上犬の話

Kawakami_ken_01_trio_yoko  昨日(12月20日)お昼のNHKの番組で川上犬のことをやっていました。私は以前猟犬を飼っていて、猟犬種の雑誌をとっていました。そんなことで川上犬のことを少し知っていました。興味を持ってテレビを見ました。川上犬は、長野県南佐久郡川上村に伝わる小型日本犬です。川上狼犬とも呼ばれていて、昔から日本狼の血が流れていると言う伝承があります。柴犬(信州柴)に近い種類だと思います。戦中戦後の食料難で、血統が途絶えそうになりましたが、熱心な愛好家の努力によって見つけ出され、保護育成されて、今では、全国で300頭前後まで数が増てきています。川上村には数十頭が飼育されています。数が少なく大変貴重な犬で、長野県の天然記念物に指定されています。大変勇猛で敏捷性に優れていて、熊、鹿、猪、猟に使われていました。近くの縄文遺跡から、この犬種の先祖であろうと思われる骨が出土たそうです。とにかく、日本犬の中では一番数の少ない貴重な犬だろうと思います。私が思うには、日本犬は洋犬に比べてうるさいのが難点で、本当は聡明でおとなしい洋犬種が好きです。(写真は川上犬の子犬です。)

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2006年12月19日 (火)

縄文の文化

 543pxjomon_vessel_30002000bc縄文文化はおよそ1万6千年前から約2300年前まで続いた文化です。1万6千年前はまだ氷河期です。その頃からすでに、日本列島には高度な文化をもった人達が生活していたのです。現在の文化が始まって2000年です。それに比べ、縄文時代は1万4千年もの気の遠くなるような時間です。その間、気候の変動、海面の上昇、いろいろありました。すごいことです。営々と生き延びてきた、この人間の偉大さに感激します。縄文人の身長は今に比べてやや低く、男性156~159cm、女性148cm。手足の骨は頑丈で頭でっかち。顔の輪郭は正方形に近く、眉間が突出し、鼻根部がやや陥没しているので立体的な顔だったそうです。眉毛は濃く、目は大きく二重まぶた。唇はやや厚め、顎は頑丈で、エラが張っていたそうです。縄文土器の出現は、氷河期が終了する前のことで、世界的に見ても非常に古いものだそうです。大陸側の極東地域には同時期の土器文化が知られており、関係が注目されているのだそうです。縄文後期、渡来人との接触によって在来人は、それまで蓄積してきた経験と技術を生かし、新に手に入れた最先端の道具を使って次々に水田を切り開いていったのです。縄文時代には米を作っていたのです。私達の今の文化で人間が後1万年生きていけるかなぁ?。(上の写真は新潟県長岡市の馬高遺跡から出土した「火焔土器」です。下の写真は「縄文土器」です。記述の一部、「縄文論争」著者:藤尾真一郎を参考にしました。)366pxmiddle_jomon_period_rope_pottery_50_1

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2006年12月18日 (月)

鯛の姿造りを食べた

Img003  16日(土)ホームコースの福岡雷山ゴルフ倶楽部に行ってきました。ゴルフ場も今は競争が厳しいのか、大変サービスがよい。私の誕生月は11月です。ゴルフ場の企画の中に「バースデー同伴サービスプラン」なるものが有って、昼食時、鯛コース(鯛の姿造り、あら炊き、吸い物、ごはん、お新香)がプレゼントされました。なかなか美味しい。誕生月とその翌月の2ヶ月の間に申し込めば1組(4名)サービスが受けられるのです。スタート室、キャデイ、途中の茶店、みんなお誕生日おめでとうございます、と言ってくれて実に気持ちの良い一日でした。あまりの美味しさに、調子が上がって、焼酎を呑みすぎてスコアは散々な結果に終わってしまいました。それでも大変さわやかな一日でした。帰りにはお土産に芋焼酎をもらいました。満足!。(上の写真は、9番フェアウエイからクラブハウスを見たところです。下の写真は、サービスの姿造りです。)Photo_2

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2006年12月14日 (木)

忠臣蔵を考える

2_11_1  今日12月14日は(旧暦12月14日、実際は15日未明)大石蔵之助率いる赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした日です。浅野内匠頭と吉良上野介との江戸城松の廊下でのケンカの判定が、内匠頭が切腹、播州浅野家取り潰し、一方上野介の方はお咎めなし。これに不満を持った元赤穂藩士300人の中の一部の元藩士、47人が仇をとるために吉良邸に武器を持って乱入し、首尾よく吉良上野介の首をとって内匠頭の墓前に報告した、と言うものです。ケンカと言っても内匠頭が一方的に刀を抜いて上野介に切りかかったのです。上野介は相手にした訳ではないのです。私から見れば上野介がかわいそうです。内匠頭は、随分短気な人だったようです。それに痞(つかえ)と言う持病を抱えていたのだそうです。痞えとは、胸が痞えのつかえです。内匠頭の痞えは、そんな生易しいものでは有りませんでした。発作が生じると、顔面が蒼白になり、こめかみに青筋が立ち、片方の顔面が痙攣し、特に天気の悪い日に発症傾向が強かったそうです。松の廊下事件の日も天気が悪かったそうです。現代医学を持ってもこの病名が分らないそうです。ある高名な医師の見立てによると、事の善悪ができなくなり、発作的に常軌を逸した行動にはしる心身症が、一番近い病名ではないかと言うことです。そんな主君に対し大石蔵之助は偉い。男の鏡です。蔵之助の辞世の句です。「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」 この「あら楽し」の部分に蔵之助の深い情念と男のすごさを感じています。(写真はかな手本忠臣蔵の討ち入りの段です。)

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2006年12月12日 (火)

大佐が一番偉い?

Muammar_algaddafi  中東北アフリカにリビアがあります。この国は1951年イタリアから独立して、王国として出発しました。建国18年後の1969年、軍部がクーデターを起し、現在のカダフィーを元首とする国家が成立しました。首都はトリポリで、面積は176万km2(日本の4.6倍)、人口560万人の社会主義国です。60年代に発見された潤沢な石油資源により、国は大変豊かになっています。元首カダフィーは、カストロ、チェ・ゲバラ、と並んで革命御三家と言われています。一般的には軍隊階級を付けて、カダフィー大佐と呼ばれています。クーデターを起した時の階級は大尉だったのだそうです。それから大佐になった訳だから三階級上がったことになります。国家元首が大佐の国は、世界広しと言えどもリビアだけです。不思議な話です。では、リビアの軍隊には大佐以上はいないのかと言うと、大将や中将もいるのだそうです。益々変な話です。リビアでは大将よりも大佐の方が偉い?。不思議な国なのです。(写真はカダフィー大佐です。)

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2006年12月 9日 (土)

インカ帝国の崩壊

Pmachupichu01  南米ベルーとボリビアを中心として、13世紀に成立した、有名なインカ帝国がありました。首都はクスコに置いていました。最盛期にはチリ、エクアドルにまで広がった広大な国でした。それが16世紀、たった数百人のスペイン人によって侵略され、簡単に崩壊してしまったのです。通常では考えられないことです。なぜ、亡んでしまったのか?。インカ帝国は、ケチュア族が作った国で、周辺の被征服民族に対しては、比較的自由な自治を認めていたため、一種の連邦国家のような形となっていました。被征服民族の多くは最近併合されたばかりで、大首長たちはインカ帝国の支配から逃れる機会を狙っていました。その様な時期にスペイン人が侵攻してきたのです。インカ帝国の諸民族集団は、自由を求めてスペイン人に加担したのです。スペイン人は敵対的な国の中で、孤立するどころか、最初から原住民を頼みにすることができたのです。加担した原住民達はその後、以前より増して自分達が束縛されて、屈服や従属の状態に置かれることに気づかなかったのです。知らない人を信用してはいけない。(写真はマチュピチュの遺跡です。マリア・ロストウォロフスキ作「インカ国家の形成と崩壊」を参考にさせていただきました。)

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2006年12月 4日 (月)

人は見ている仏さまも見ている

Photo_1  普通サラリーマンは組織の中の一員として仕事をしています。本人に対して、指示や命令をする人は上司とお得意先の人です。一般的な話ですが、サラリーマンは組織を編成する時、部下はある程度選ぶことができますが、上司を選ぶことはできません。人事の移動が有った時、いい上司ばかりに恵まれることはありません。馬の合わない上司の下に付くことも有ります。そうすると、仕事上でやり方や意見が合わないことが多々発生します。当然のことですが、その時は組織の統制上、上司の考えに従わなければなりません。又、上司からいじめに合うこともあります。そんなことが重なると、反感をもったり、腐ったりします。しかし、その時反抗的な態度をとったり、腐っては駄目。我慢しなければいけない。上司一人が見ている訳ではないのです。同僚、部下、隣の上司、上の上、皆見ているのです。状況をみんな知ってくれているのです。次の移動のチャンスがくるまで、歯を食いしばって頑張るのです。それがサラリーマンです。そうすれば必ず次の新しい道が開けてきます。。相田みつおさんの書に、「人は見ている、仏さまも見ている」、というのがあります。正そのとおりだと思います。(写真は奈良霊山寺の十一面観音像です。平安時代の作で国の重要文化財に指定されています。)

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2006年11月27日 (月)

天皇皇后両陛下婚約記念日

Topph01  昭和33年(1958)の今日、今上天皇、皇后、両陛下の婚約が発表されました。まだ各家庭にテレビのなかった時代です。これをきっかけににテレビが爆発的に売れて、家庭でもテレビが見られるようになりました。48年前のことです。民間からの初めての皇室入りということで、日本中が沸き立ちました。美智子妃は、皇室に入られずいぶんご苦労されたようです。ある時、美智子妃が幼い3人のお子様を連れて外に外出しました。その時「ほかほか弁当」を4つ買って食べられたそうです。皇室の衛生管理の厳しさを聞いていたので、私には信じがたいことでした。宮内庁当局は「今後は慎むように」と注意しました。ところが、美智子妃は、「国民のみなさんと同じものを、なぜ私や子供達が食べてはいけないのですか」と反論されました。又、美智子妃はテニスをするとき、「あっ、やばい」「よし、やるぞ」という掛け声をかけていたそうです。何だかとても親しみを感じます。いつまでもお元気でいていただきたいものです。(写真は皇居の二重橋です)

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2006年11月25日 (土)

森を大切にしよう

450pxmoai_rano_raraku  昨日ある会合で、佐賀大学理工学部の教授の話を聞く機会を得ました。以下、教授の話を聞いて私が考えたことです。チリ沖の太平洋上にイースター島があります。伊豆大島くらいの小さな島です。この島はモアイ像が立っていることで知られています。このモアイ像は12世紀頃から作られ始め、14世紀頃が一番たくさん作られたそうです。この頃のイースター島は森に囲まれた豊かな島でした。人口も2千人位いました。人口が増えたので食料増産のために、森を切り開き畑にしました。初めのうちは、土地も肥沃で作物も実り、うまくいっていました。しかし、時が経つにしたがい雨による侵食で畑の土が海に流され、やせた土地になり、作物が出来なくなってしましました。食料をめぐる島民間の争いが激しくなり、殺し合いもあちこちで発生しました。人々はこの原因はモアイ像にあると考え、島中のモアイを皆倒してしまいました。私は思う。森を切った時、モアイ像を作る技術を生かして石垣をつき段々畑にしていれば、海に流れる土が減っていたかも知れない。イースター島のモアイ像は建造中に放棄されたものを含めると1千体あります。中には高さ20m,重量90tに達っする大きなものもあります。1992年から香川県にあるクレーン製作会社がクレーンを持ち込み、モアイ像を起したり、修復しています。自然を改変すると結局、その付けは自分達にくる。森は大切な人間の宝です。最近では漁業者が豊かな海を守るために、山に植林をする話をよく耳にします。次の世代の人達が豊かに暮らせるよう、私達は自然を大切にしよう。森を大切にしよう。(写真はイースター島のモアイ像です。私は行ったことがありません。)

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2006年11月21日 (火)

満州国に創った大ダム

012  昭和のはじめ満州国が建国されました。その頃は植民地をもつ国が文明国と呼ばれた時代です。強大な軍事力を背景に、植民地を広げる欧米列強。産業を興し、軍事力を持たねば国の独立を保てないと、アジアで唯一立ち上がったのが日本でした。侵食してくる欧米列強に対抗すべく、日本はアジア諸国の独立勢力に肩入れを始めた。満州国はこうした背景のもとで建国されたのです。「王道楽土」「五族協和」崇高な理想を掲げ、建国が着々と進められた満州国。しかし、日本の敗戦により、その寿命は13年で終わりました。その様な時代の中、満州国に日本人の手で昭和12年(1937)豊満ダムの建設が着手されました。この豊満ダムの諸元は、高さ91m,堤頂長1100m,貯水量125億m3(琵琶湖の貯水量に匹敵),最大出力70万kw(満州国とその周辺の電力が賄える),の重力式コンクリートダムで、アメリカのボーダーダムに次ぐ世界的な規模のものでした。昭和18年(1943)に一部送電が開始されました。昭和20年(1945)敗戦により全体コンクリート量210万の内28万を残して工事は中止されましたが、内戦が終わり、その後工事は再開されて完成しました。昭和28年(1953)の帰国まで、残留した日本人達の手で豊満ダムは操作、管理され、守り続けられました。今でも中国人にとっては、重要なダムとなっています。大ダムに挑戦した先人達はすごい。生命の危険にさらされたり、建設上の苦労は大変なものがあったと思う。でも当時、国のために頑張っていると言う自負と誇りがあったに違いない。今の日本の物創りはそんな気概がないのが残念です。余談ですが、この豊満ダムの帰国者が集まって作った会社が大豊建設です。蛇足ですが私と大豊建設とは特別関係は有りません。(写真は豊満ダムです。)

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2006年11月20日 (月)

礼に始まり礼に終わる

Cut033color  今、福岡では大相撲九州場所が開催されています。力士は土俵に上がると礼をして仕切りに入ります。勝負がついたら、勝った力士は礼をして、行司から勝ち名乗りを受けて土俵を下がります。負けた力士も土俵際で礼をして下がります。相撲は日本の国技です。相撲に限らず、剣道にしろ柔道にしろ、日本発祥のスポーツは全て、礼から始まり礼に終わります。スポーツだけでなく我々の毎日の生活も、礼に始まり礼に終わります。朝起きたら、お早うございます。寝る時はおやすみなさい。食事は、いただきます。ごちそうさま。古くから日本は礼儀を重んじる国です。礼儀は世界に誇る日本の文化です。相手を思いやる心を態度で表したものが礼です。この素晴らしい文化を、次世代に継承して更に美しく良い国にしたいものです。我々の生まれたこの日本の国を愛するなら、若い人達も、もう一度日本の礼について考えてみたらいかがですか。(イラストは剣道で礼をしているところです。)

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2006年11月15日 (水)

19日まで休みます

Index_ph01  今日(15日)から19日(日)まで書き込みを休みます。申し訳ありませんが、ちょっと箱根まで温泉旅行に行ってきます。20日から書き込みを再開します。では、行ってきまーす。(写真は富士山と芦ノ湖です)

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2006年11月14日 (火)

無理を言おう

Bungyvic8  私達が小学校の時習った円周率πは無理数です。今日は無理の話です。仕事を例にとると、私達は一人で仕事をしている訳ではありません。社内では上司、同僚、部下に囲まれています。お得意先、お客さん、取引業者の人達もいます。そういった人達に、お願いや要請をしながら、自分の目標達成向かって日々努力している訳です。仕事に於いては自分の周りの人に、ある程度無理なお願いをして、その無理が成就しなければ目標達成に結びつきません。零細企業、大企業を問わず、人に無理なお願いや要請が出来ない人は、成果が上がらない上に、精神的にストレスがたまり悪くすれば、病気になってしまいます。一般的な話ですが、やさしい性格の人にそういった傾向が見られます。やさしい性格の人は誰にも好かれ大変良いのですが、無理が言えない。自分がそんな性格だと思ったら、仕事だと思い、勇気をもって割り切るように努力して、積極的に行動すべきです。後で反省をしてクヨクヨしないよう、努力することが大切です。にっこり笑って無理を言おう。生存競争に勝つために。(写真は、無理をして[本人は無理してないのかも知れない]バンジージャンプをしている女性です。)

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2006年11月13日 (月)

親がもっとしっかりしよう

Top_kousya  最近、学校教育基本法を始め、子供の教育問題、いじめの問題が、報道されています。昨日、北九州市の小学校の校長先生が、児童のいじめの問題を苦に(私の推測)自らの命を絶つと言う痛ましいニュースがテレビで放送されていました。学級崩壊、いじめ、今、教育現場で起こっていることの責任はいったい誰にあるのでしょうか。鉾先が学校や教育機関に向いています。全て学校でしょうか。私は責任は親(子供を保護している者、育てている者)にあると思います。子供を可愛がるだけで、大事な躾けをしない。叱らない。放任している。家の子供に限っては。と言うことをよく耳にします。子供の躾けをちゃんとして、子供の成長に見合った人格の持ち主に育て、社会に送り出すのは親の仕事です。学校はその手助けをする場所だと思っています。学校に任せておけば、自分の子供を立派な人格者に育ててくれる。とは誰も思っていないのではないでしょうか。大事な子供です。被害者になってはいけない。加害者になってもいけない。親がもっとしっかりしないといけない。何かあったら学校に責任をおっ被せる。これでは何時までたっても問題解決にならないような気がします。親が子供に何をしてやれるのかをもう一度よく考える時だと思います。親がもっとしっかりしよう。(写真は、さいたま市のある小学校です。書き込みの内容とは一切関係ありません。)

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2006年11月 8日 (水)

竜巻に思う

Tornade001  昨日(2006.11.7)午後1時20分頃、北海道佐呂間町でFスケール3の竜巻が発生しました。これにより9人の方が死亡、23人の方が重軽傷を負うと言う、甚大な天災事故となりました。9月17日には宮崎県延岡市で台風13号によるFスケール2の竜巻が発生し、市内が壊滅的な打撃を受けました。又、南延岡駅で特急列車が脱線するなど大きな被害となりました。死者3人、負傷者100人以上と言われています。竜巻の通ったところは猛烈な風により建物が破壊されています。昨日の竜巻では2階建の仮設建物が破壊され、中にいた建設会社で働く人達が犠牲になりました。仮設建物は採光のための窓が多い。屋根を含め全体が軽い。と言う特徴があります。現場を見たわけではないので、断言はできませんが、石、木材、金属等を巻き上げた猛烈な風が窓ガラスを一瞬のうちに破壊し、風が建物の中に入り、屋根を吹き飛ばし、建物を破壊したのではないかと思います。竜巻の発生する可能性のある場所に建物を建てる場合は、何らかの対策が必要だと思いました。竜巻の力学的な検証が行なわれ、具体的な対策の検討が待たれます。今は死語になっていますが、怖いものに、地震雷火事親父を言う言葉がありました。これからは、地震雷火事竜巻がいいかも。(写真はアメリカで発生した竜巻で、noaa撮影です。)

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2006年11月 7日 (火)

訂正とお詫び(2)

Img10221194748_1  10月31日の書き込みに、大相撲九州場所が11月5日から始まると記述しました。誤りです。正しくは、11月12日からでした。訂正とお詫びを申し上げます。

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2006年11月 1日 (水)

アクセス数にびっくり

565278481  この芋酎、ブログを開設して40日が経過しました。アクセス解析を見たら、びっくりしました。今日現在、累計アクセス数 2,185 件、1日あたり平均 53.29 件となっていました。見ていただいて本当に有難うございます。これからも更に努力して充実したブログ作りを目指したいと思っています。気づいた点、改良点等、何でもかまいません、ご意見がありましたら、コメント欄に記入して送信ください。お待ちしています。今夜の焼酎は美味しいぞぉ。(絵は本題とは何の関係もありません。秋の象徴の柿です。私が描いたものではありません。ある高名な画家の作品の複写です。)

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2006年10月31日 (火)

不合理な敗者を出さない

600pxdohyo  11月5日から大相撲九州場所が始まります。相撲は、足の裏以外の体の部分が相手より先に地面に付いたら負け。相手より先に土俵の外に出たら負け。他にもルールはありますが、この2つのルールを知っていれば楽しめる、至って単純なスポーツです。相撲は日本の国技です。他のスポーツと最も違うところは、行司という審判の上に、勝負検査役という人達がいることです。きわどい勝負の時は、物言いが付いて、5人の勝負検査役が土俵に上がり、今の勝負について話し合いを行って、判定を決定するのです。大変公平な方法だと思います。まず、誤判定がない。日本は昔から話し会いを大切にしてきました。各職業、隣近所で組を作って、その中から敗者が出ないよう合理的に物事を決めていました。掟に背くと、村八分と言う罰を与えられたりしました。村八分とは火事と葬式の付き合いはするが、他の一切の付き合いをしないと言う過酷なものでした。最近アメリカの価値観が入ってきて、何でも強い者が勝ち。言い換えれば弱いものは泣きを見る、世の中になりつつあります。俗に言う格差社会です。昔のように話し合いで決めていたいた頃は、敗者は出ませんでした。今の内に手を打たないと、大きな負債を抱えた人、自殺者やホームレスの人達が増えて、アメリカのゴーストタウンのような街が出現しそうです。不合理な敗者を出さないよう何とかしなくてはいけない。(イラストは土俵の配置図です)

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平常時に心の準備を

Kanbotsu1  サラリーマンは組織の一員として、企業活動をしています。今日はその組織を統率して仕事をする立場の人の心構えについて話たいと思います。私芋酎の体験を通じての話です。平常時は各自、役割分担に基づいた日常の仕事をこなしていれば組織として、生産活動がなされます。組織の長は不具合が発生しないよう、現場を見て、情報を集めて、予防措置をとって、円滑に仕事を進ませることが主な仕事です。何時もそうであれば良いのですが、時に非常事態が発生します。たとえば、天災、人災、事故等があります。非常事態が発生したら、長としては、組織の人間を総動員して、被害と周囲に対する影響を最小限に止めるようにすることが最大の任務となります。一般的に事務所には災害対策体系等の組織表が張ってあります。いざとなった時には、中々体系どうりには事が運びません。皆右往左往するばかりです。この時こそ、長の真価が問われるのです。あわててはいけない。まず落ち着くことが大切です。すぐしなければならないことを把握する。身の回りにいる適切な者を選んで、必要なことを命令する。次に、全員を集めて、災害を食い止める、復旧する、ための対策をたて、役割分担を決める。この時、時間との勝負になるので、合議していてはいけない。物事は全てトップダウンで決める。そして命令する。自信をもって堂々としていなければ駄目だ。長が迷っていては、下も迷うことになる、とにかく時間との勝負だ。こうして一糸乱れず組織体として機能させることが、長の仕事だと思います。この芋酎も何度か、非常事態に直面しました。その度に組織の皆さんのお陰で何とか乗り切ることができた。平常時に万が一のための心の準備をしておくことが大切だと思います。(写真は2005.8.16に発生した福井市の陥没事故です:福井市撮影)

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2006年10月24日 (火)

犬にも劣る

43_p1  以前猟犬を飼っていたことを書きました。アメリカンビーグルもうさぎ猟に使う猟犬です。最近出回っている、愛玩用に改良された犬は猟欲を失っており、いくら調教しても使い物になりません。私の飼っていたアメリカンビーグルは猟犬種でうさぎを追いかける専用の犬です。体重7キロの雌犬で、名前はミッキーと呼んでいました。毛色は茶白黒3色で、とてもかわいい犬でした。ミッキーを連れて夕方散歩をしていたら、突然鳴きだし、畑の向こうへ走って行ってしまいました。しばらくすると生まれてまだ2~3日目の子犬を咥えて帰ってきました。捨て犬です。かわいそうなので連れて帰りました。ミッキーは既に子犬を産んで育てた経験を持っています。乳は出ませんでしたが、腹の中に抱いて子育てをしました。ミルクだけは人の手でやりました。他のことは全てこの犬がやってくれました。子犬が成犬になるまで実親のように面倒をみました。本当に母性の強い犬でした。感心しました。京都で3歳の男の子が継母の虐待を受けて死亡したとのニュースに接し、母犬ミッキーを思い出しました。かわいそうに、犬にも劣る人がいるのだなーと、複雑な思いです。(写真はアメリカンビーグルです)

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2006年10月23日 (月)

芋焼酎の芋

C1_img01 Img_etc_01 さつま芋は体のエネルギーになる糖質や整腸作用のある食物繊維、ビタミン類、カルシュウム、カリウム、亜鉛等のミネラル類を含む優れた食品です。蛋白質と脂質を除くほとんどの栄養素が含まれているのだそうです。農林統計によると日本で年間百万トンのさつま芋が生産されています。その内、千葉県が20%、鹿児島県が18%、茨城県が17%、となっています。この3県で日本の半分以上を生産していることになります。用途としては50%が青果、20%が澱粉原料、16%が加工食品、10%が焼酎用、となっています。さつま芋は熱帯植物で寒いところでは出来ないのだそうです。北限が、福島、宮城、新潟、あたりだそうです。さて、本題の芋焼酎の話に入ります。芋焼酎はどんな芋からでも出来るわけではないのだそうです。現在では、コガネセンガン、ジョイホワイト、と言う品種が主に使われているそうです。この種の芋は、澱粉量が多く、甘く香ばしい。芋焼酎の、甘い香り、ふくよかな味わい、そして独特のコクはここから生まれるのだそうです。余談ですが1トンの芋から25度の焼酎が8百リットルできると言うことです。この前NHKの「ためしてガッテン」と言う番組で栗を甘くする方法を報道していました。さつま芋は室で保存していると、春にはとても甘くなります。保存中に澱粉が糖分に変化するからです。私の食べる芋は甘くては駄目だ、ホクホクしていないといけない。一口食べたら喉に詰って、あわてて水を飲むようなのが良い。焼酎は甘くコクがあるのが良い。今夜は何をおかずに呑もうかなあ。(花はさつま芋の花です。芋はコガネセンガンです)

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2006年10月20日 (金)

ツルの季節がきた

565278701  鶴が渡って来る季節になりました。出水の鶴は、大陸で子育てをして秋が深まってくると、越冬のため、今話題の、朝鮮半島、対馬、長崎、熊本を通って鹿児島の出水平野で冬を越します。この時期、新しく出来た長崎県の諫早湿原では、鶴が羽を休めたり餌を啄んだりしている姿を目にすることがあります。何度か写真を撮ったのですが、警戒心が強くなかなか近寄れません。残念ながらかすかにツルだなあ。程度の写真しか撮れませんでした。今度こそと思っています。何で書き込みをしないのだろうと思われた方がおられるだろうと思います。昨日の夕方までフリー障害のためブログの書き込みが出来ない状態でしたが、修復されてやっと使えるようになりました。今日から又、書き込みます。(写真の鶴は私が描いたものではありません、ある高名な画家の画の複写です)

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2006年10月13日 (金)

今度の景気の名前は?

Jinja2  12日夜、安倍晋三首相が記者団に、このところ続いている好景気が、57ヶ月続いたいざなぎ景気に並んだ。と言う話をされました。戦後から好景気は3回ありました。最初が神武景気です。1955年から1957年朝鮮特需によって日本経済が大幅に拡大されて、三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)が出現しました。神武天皇が即位して以来の好景気と言うことで名づけられました。次が岩戸景気です。1958年6月から1961年12月までの42ヶ月間続いた高度成長時代の好景気です。サラリーマンや労働者の収入が急激に増加し、国民の間に中流意識が広がっていきました。天照大神が天の岩戸にお隠れになって以来の好景気と言うことで名づけられました。三回目がいざなぎ景気です。1965年11月から1970年7月まで、57ヶ月続きました。佐藤栄作総理の長期政権のもとで10%以上の高度成長が維持され、日本は世界第二位の経済大国になりました。3C(カー・クーラー・カラーテレビ)と言われる夢の耐久消費材が生まれたのがこの時期です。いざなぎの尊(男神)といざなみの尊(女伸)が日本最古の神とされています。日本創造の神です。そう言うことで名づけられました。さて、今回の好景気はどうでしょうか。一部の輸出産業に支えられたほんの一部の好景気です。私達、建設産業や中小企業で働く人間には、全くと言っていい程実感がありません。給料やボーナスは下がりっ放しです。5年前よりすっかり貧乏になってしまいました。安倍総理、今回の景気に何と名前を付けますか。いざなぎの尊より昔の神様で適任な方と言いますと、それは貧乏神様です。私が安倍総理ならこの好景気を「貧乏神景気」と名づけます。(写真は貧乏神神社です)

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2006年10月10日 (火)

核実験に思う

753pxivymike2 昨日から北朝鮮の地下核実験の話で、世間は持ち切りです。北朝鮮は何を考えているのかよく分からない。しかし、考えてみれば、人間の歴史は殺しあいの歴史です。日本で唯一平和な時代が続いたのが、江戸幕府が政治を行った三百年間です。三百年もの間、平和が保たれた国は恐らく他にないと思います。世界に誇れることだと思います。戦後61年、日本ではなんとか平和が保たれています。この平和を次世代に継承しなければいけないし、他の国にも平和の尊さを教えてあげないといけない。広島・長崎の原爆資料館に行ったら戦争が如何に惨いことか、思い知らされます。今、北朝鮮は自滅の道を進んでいるような気がします。韓国や、日本はそれの巻き添えを食わないよう、しっかり見張る必要があると思います。(写真は1952年初めて行った大気圏内水爆実験の時のものです。絵は原爆体験者の方が描いた絵です。)015 038 014

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コメントがほしい

Fu1170291p  芋酎です。ブログを見ていただき誠に有難うございます。今回は、お願いの書き込みです。ご覧になったら、気づいたこと、感じたこと、何でも結構です。コメントが頂けたら幸いです。書き込みに元気が出ます。コメント欄も時々開いて見てください。結構面白い話が書き込まれていますので。

 写真をクリックすると拡大された画像がご覧になれます。画面に入りきらないときは、一度別の場所に保管して、それを開いてみてください。

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2006年10月 7日 (土)

危機を乗り切る

Admiraltogo  薩摩(鹿児島)には2人の偉人がいました。東郷(東郷平八郎)さんと西郷(西郷隆盛)さんです。東郷さんは明治・大正時代に活躍した、海軍の軍人です。日露戦争の時、彼は連合艦隊指令長官として日本海軍を率い、ロジェンストヴェンスキー提督率いるロシアのバルチック艦隊を迎撃し、日本海海戦で大勝利をおさめました。旗艦三笠に座上し、自ら編み出したT字戦法(東郷ターン)により、敵艦前方で連合艦隊を急速旋回させたことはあまりにも有名です。世界三大提督の一人で、今も世界の海軍将校から崇拝されています。東郷さんは、それまでに数々の戦争に参戦し、何度も危機を乗り越えて頭角を現し、日露戦争の連合艦隊指令長官に任命されています。任命にあたっては、当時の海軍首脳山本権兵衛が明治天皇に「東郷は運の強い男ですから」と奏した、と言われています。危機を乗り越える。生きていれば誰でも危機にぶちあたります。危機に面した時、その対応の仕方によって人間としての値打ちが変わります。逃げてはいけない。真正面から対峙して冷静な判断のもと、考えられる最良の策を実行して乗り越える。口で」言うのは簡単ですが、実際となると難しいものではありますが。仕事の面での危機にしても乗り越えれば栄光が待っています。組織の信頼が増し、次の段への登用だってあるかも知れません。危機を恐れず乗り切る。危機は人間を成長させます。話は前に戻りますが、東郷さんはただ運が強かったわけではありません。日本海海戦における戦術は、戦国時代の村上水軍の書を参考にしたと言われています。大変な研究家だったのです。来る危機を乗り切るためにその準備をしていたのです。私にももう一度ゾクゾクするような危機がこないかなあ。(写真は東郷平八郎です。日露戦争を前にして撮影されたものです。)

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2006年10月 2日 (月)

訂正とお詫び(1)

Img10221194748  9月29日(金)付「下を見よう」の中で サカンが左遷の間違いでした。次に、9月30日(土)付「尊敬と信頼」の中で安部総理が安倍総理の間違いでした。訂正とお詫びを申し上げます。

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2006年9月30日 (土)

尊敬と信頼

0045_l  私は山口県生まれです。山口県では今回、安部総理誕生で沸いています。山口県(防長)の偉人と言えばなんといっても写真の吉田松陰です。ご存知のとおり、この方は松下村塾と言う小さな私塾を開いていた貧しい浪人でした。社会的には地位にも金にも縁のない人でした。江戸で処刑されたのが若干30歳の時です。門下生には後に活躍した、高杉晋作、山形有朋、伊藤博文、久坂玄瑞、木戸孝允、品川弥二郎、等の立派な人物達が名を連ねています。松蔭は立派な人格者であることは無論のこと、塾生から尊敬と絶大な信頼を受けていたのだと思います。だから松蔭の教えが塾生の隅々まで浸透していったのだと思います。尊敬と信頼。上に立つ者はこの2つの言葉を心に刻んで下の者と接することが大切だと思っております。私も尊敬している人が3人います。仕事を通じてその人のような人間に成りたいと思い目指した人です。3人の尊敬する人は偉い人ではありません。普通の中堅サラリーマンです。下から尊敬されるような人間を目指して、頑張るべきだと思います。そのためにも下の者に愛情をもって接するべきだと思います。生きがいをもって、元気に働ける環境作りが組織を活気づけることになると思います。

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2006年9月29日 (金)

下を見よう

001  今は内部告発の時代です。お互いが信じきれない、上が下を信じられない、下が上を信じられない、周りの者が信じられない。何でこんな世の中になってしまったのか私なりに考えてみました。原因のひとつに価値観の一番が「地位と金」になったからではないかと思います。偉くなる。金を儲ける。この欲望が強すぎるからではないかと思います。そうゆうことで組織の中では皆上ばかり見て仕事をしている。這い上がるために上の者の足を引っ張る。上から叱責されたりサカンされたら、弱みを探して告発して、仕返しをする。そうなると組織体として機能しなくなってしまいます。うまく、組織を運営するにはお互いがもっと下を見つめなければいけない。下を見ていると、落ちこぼれそうな者、不平不満をもっている者、いろいろ見えてきます。それらの者の悩みや考えを聞いて適切に対応し、組織の和を保つ。このことが一人ひとりの働く意欲を向上させて、生産性も上がることになる。今一番大事なことは、下をよく見る。これにつきると思います。浮世絵は鈴木春信の複写写真です。

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